記者:貝原萌奈実(18)
20歳に満たない少年が罪を犯した時に、成人とは違う扱いにすることを定めた法律が「少年法」である。この少年法は平成12年の改正により、刑事処分が可能な年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられ、16歳以上の少年による故意の犯罪行為による死亡事件は原則逆送されることとなってしまった。さらに平成19年の改正では、少年院に送致できる年齢の下限が14歳以上から「おおむね 12歳以上」に引き下げられた。
法務省刑事局の刑事法制企画官である飯島泰氏によると、昭和23年に新憲法制定に伴ってアメリカの少年裁判所の影響を受けて制定されたのが我が国の少年法だという。そして、少年法が非行を犯した少年の取り扱いを成人と区別している理由については、「少年は、精神的に未成熟で心情も不安定であり、成人と比べて周囲の影響を受けやすいため、非行を犯したとしても、それは深い犯罪性によるものではない場合も多い。また、少年は人間的に成長する課程にあり、成人よりも教育的な働きかけによって立ち直りやすい。そこで、少年法は処罰よりも教育によって非行を犯した少年を立ち直らせるという、健全育成を基本的な考えにしている」と飯島氏は言う。
だが、そんな少年法は平成12年に世間の多くの人が「厳罰化」と考えるような大きな改正がなされた。「厳罰化」と呼ばれることに関して飯島氏は、「元々刑法に定められた刑事責任年齢が14歳以上であるのに、少年法では16歳以上としていたため、ダブルスタンダードであったのを是正したのであって厳罰化ではない」と言う。また改正の経緯については、「神戸須磨連続児童殺傷事件のような凶悪・重大な事件を受けて、被害者からの要望もあり、色々な要素が絡み合って、このままでいいのかと考えて平成12年の改正を迎えた。重大な事件を起こせば罰せられるということを明確にすることは、社会生活における責任を自覚させることになる」と述べていた。
神戸須磨連続児童殺傷事件は、10年経った今でも忘れられない人の多い衝撃的な事件だ。では、実際にこの事件の加害少年を最も近くで観察した人物は、「動機が理解できない残虐な犯罪」と言われている最近の少年犯罪についてどのように考えているのだろうか。当時この事件の担当裁判官を務め、現在は弁護士として少年事件の付添人を中心に活動している井垣康弘氏に話を伺った。井垣氏は、「最近の子供の質が昔と変わったとは思わないが、犯罪の種類に関して言うと最近は恐喝が減って、強盗や窃盗、ひったくりが増えている。相手を脅して行う恐喝と違って、ひったくりは相手の顔を見なくても行うことができる。これは最近の子供にコミュニケーション能力が不足しているからではないか」と答えた。
最近の厳罰化と言われる動きを見ると、このままどんどん子どもが子どもとして扱われる年齢が下がってきてしまうのではと不安になるが、井垣氏は「今後厳罰化が進むとは考えにくい」と言う。また大人の刑罰に関しても「懲らしめという考え方がなくなり、教育刑が中心となっていくだろう。死刑もなくなる」と述べた。井垣氏によると、アメリカで犯罪増加に伴って厳罰化路線が図られたことがあったが、効果はなかったという。一方、ヨーロッパは現在教育路線で、犯罪被害者のケアもちゃんと行われているし、少年審判にも裁判員が導入されているということだ。「刑罰の費用は年間300万円位かかっているが、教育となるとその倍はかかる。また厳罰化を進めることは選挙民に受けるという理由で、厳罰化を推す人もいる。厳罰化を進める日本は遅れているが、そのうち修正されるだろう。」
「殺人を犯してたった数年で少年院から出てくるなんて、少年審判は甘すぎる」―――こんな声をよく世間で耳にする。たしかに、少年院での処遇期間というのは、大人の犯罪者の刑期と比べてかなり短い。だが実際、少年院での教育には刑罰にはない大きな効果があるようだ。少年院は学校と違って、生徒4、5人につき先生が1人付き、各々に必要な教育を施して細かい項目別に評価している。そして少年院の子供たちは連帯感が強く、互いに教え合いもしているという。井垣氏は「学校で勉強がわからず、家でもほったらかしにされている子どもというのはクラスに3割ほどいるのだが、非行に走るのがそのうち1、2割。そういう子供たちがいることをわかっていながらほったらかしにして、非行に至ってから少年院で初めて勉強させるというのは冷たいシステムだ。こういった実態を、もっと社会一般の人にも知ってほしい」と切実に語った。
当事者である私たち子どもも、少年法や少年院での処遇についてほとんど知らない。法務省では法改正の内容を説明するパンフレットを作ったり、少年非行の実績を分析し「犯罪白書」という本を発行したりしているが、全国の中学校に配るなどといったことはお金に限りがあるので、できていない。井垣氏は「地域と一体になって、勉強についていけない子どものケアをしたい」と語っていた。井垣氏の想いを実現させるためには、もっと社会一般の人々にもこの実態を知ってもらう必要がある。少年犯罪を減らすために今求められているのは、この実態をほとんど知らない「社会一般の人々」の力なのである。