<記者募集> *締め切りました

取材活動をサポートします

記者の申込は、参加規定に同意の上、お申し込みください。また未成年の方は、保護者の同意を得た上での参加が必要です。エッセイ(300-600字)を必ず提出してください。上手に書けている必要はありません。あなたが興味を持っていること、どんな取材をしてみたいか等を教えてください。

対象:中学生から24歳までの人
開始: ー
費用:名刺代1,000円(初回のみ)と参加費6,000円(6ヶ月分)をご負担ください。取材にかかる交通費等は自己負担です。参加費の支払いは半年ごとです。

お申し込みいただいた後、3月中にZOOMで今後のことを打ち合わせします。(振り込み先もお知らせします)
関東・関西以外にお住まいの場合は、オンライン取材をメインにする(名刺代不要)などの方法も考えられますので、お申し込みの前に一度ご相談ください。

相談:メールでお気軽にご相談ください。

ご質問

活動頻度、費用のことについて「よくある質問」をご参考にしてください。

当団体について

メディア、雑誌編集経験者や教育関係者などが「取材活動を通じて視野を広げてほしい」と活動しているNPO(非営利任意団体)です。理事会・サポートメンバー一覧はこちら。

応募エッセイについて

卒業生を含む応募時のエッセイです。参考にしてください。

 私が興味のある分野は、大衆文化の変化とともに変化した世間の目や、ホームレスの人々への偏見など今なお残っている偏見や世間の目についてです。
 今では世界に誇れる日本の文化となっているアニメや漫画ですが、私がまだ小学生だった頃はアニメが好きといったりアニメヲタクだといったり、ただヲタクというだけでもいい印象を持たれることがありませんでした。しかし今ではそんなことはなく、むしろ多くの人がアニメや漫画を好んでいます。私はいつ、何がきっかけで世間の目は変化したのかに興味があります。
 またホームレスへの偏見についても、私自身最近まで持っていたものです。私がホームレスの人々への偏見に気づけたきっかけは、学校の教授が紹介してくれたボランティアに参加してからです。今まではホームレスの人はお金も家もない人々だと思っていました。しかし私がボランティアで出会った人は、親切で話をすることが大好きなおじさん達でした。猫を飼っている人もいて今までの印象とは全く異なる人ばかりで驚いたとともに、いつからホームレスの人々に偏見を持つようになったのか気になるようになりました。私が興味を持ち、知りたいと思ったこととして例を上げましたが、他にも気になることも多いです。今後どのように取材をすればいいのかという技術面などを学び、多くの人に知ってもらいたいです。(2023年 19歳)

 自分は今年の7月に2週間程イギリスへ短期留学をしました。そこで1番衝撃を受けたことは、授業中に目をキラキラさせながら、環境問題や、社会問題に関する自分の考えを発言する海外からの留学生の姿でした。その一方で自分は英語力の問題に加え、世界中で問題となっている様々な事象に対して自分の考えを持っていないということに深く気付かされました。その経験を通して日本の教育を変えていきたいと思うようになり、日本の教育、そして世界の教育にも興味を持つようになりました。具体的には北欧の教育に関して関心があります。また、教育学だけでなく、心理学、国際関係学などにも興味があり、そういった分野を絡めながらいずれは自分の考える教育の理想像に近づけていきたいと考えています。(2023年 17歳)

 私が書いてみたい記事のテーマは、ジェンダー問題・政治についてです。また、世界的な問題のことも書きたいし、大阪万博や大阪城などの観光スポットにも行って取材をしてみたいです。大阪城については、お城が何で作られているか、何年前に作られたのか、もしくはどれだけ古いか、お庭はどれだけ広いかなど、大阪城の歴史のことも聞いてみたいです。
 ジェンダー問題のことでは、バイアスが多い漫画やお話・セリフを見つけて写真を撮ったり、なぜそれがバイアスなのか、ジェンダーバイアスはそもそも何なのかを説明したりしたいです。ジェンダーバイアスが多い漫画の例は、ドラえもんや、少女・少年漫画、日本の歴史漫画などです。 
 他には、Uber Eatsにも取材に行き、食べ物の宅配の難しさや喜びを知りたいです。政治に興味があるのは将来、政治家になりたいからです。だから、将来のためにもっと政治を学んだ方がいいなと思い、記事を書いてみたいです。(2023年 10歳)

 新聞で読む記事のほとんどは大人の目線から見たものが書かれているので、10代の目線から見たものを敢えてそのまま記事にしてみたいです。私が今興味をもっていることは、教育です。
 生まれた場所や、育った文化、家庭環境など、いわゆる属性と言われるものによって、青年期に受けられる教育が変わってしまう。それなのに、そこから生まれた差が能力の差のように考えられてしまう現状に私はどこか違和感を覚えます。全ての子供が、平和に学ぶ機会を等しく得ることがどうしてこんなにも難しいのか。そもそも受けている教育の水準が違う人との差を能力の差であると考えるのは何か違うのではないか。私自身、改めて考え直したいです。
 また、大学受験をする中で、もっと自由に学べたらどれぐらいの人がこの先も学び続けたいと自ら思えるのだろうと疑問に思いました。学問は本来、「なぜ?と疑問に思ったことを知りたい。」と思う純粋な探究心を元に行われるべきものだと私は思います。学歴や将来の収入が学びの先にあるのではなく、自分の中にあるワクワク感や高揚感を追い求める過程こそが学びであり、学歴や収入は副産物だと今の私は考えます。朝起きて学校に行き、座って授業を受けて、帰る。多くの人が倣っているこのルートから一旦外れると非常に戻りにくい今の教育制度が、もっと一人一人に寄り添ったカタチになっていったらどれぐらいの人が救われるのかすごく気になることです。(2023年 19歳)

 私は芸術家の内面世界に興味があります。
人がアートを生み出すとき、その人が何を考え、どんな物事からインスピレーションを得て、それをどのような表現方法を使って表すのかに関心があります。そのため芸術家として活動をされている方から、どのようにして作品制作に取り組んでいるのかについてお聞きしたいです。絵画など、一般にアートと呼称されるものを生み出す画家だけではなく、小説や詩、歌詞や建築などの様々な分野で活躍している人からお話を伺ってみたいです。
 また、わたしは芸術の中でも特に音楽が好きで、曲の歌詞の考察を通してフレーズの意味を味わうことがとても好きです。作詞家の方に言葉やフレーズを選ぶ過程についてのお話を伺いたいです。
 その他にも私は動物が好きで、生き物が持つ感情について考えることがよくあります。特に海の生き物を鑑賞している時には、その魚が持つ意識と関係する生き方に疑問が尽きません。書籍やインターネットで調べても知り得ないような、生きものに関する深堀りした内容を、動物に詳しい方から直接お話を伺けると嬉しいです。そして、それを文字にして記事を書くことで、自分の中にある興味をもっと深めたいと思っています。また、記事という媒体を通じて人々に発信することで、誰かに興味関心を連鎖的に繋げていけたらいいなと思います。(2023年 16歳)


 59円のハンバーグ。安い、早いだけでひきつけられるファーストフード。その逆の、材料からこだわり、心をこめて作りあげるスローフード。あなたはどちらを選びますか?私の場合は、スローフード。なぜなら自然の野菜を見て、触って、味わうことができるのは、材料からこだわり心を込めて手間ひまかけて作ることで分かるからです。スローフードとは、その土地その家庭ならではの味の多様性を大切にする運動です。食べ物を通じて自分と家族、自分と社会、自分と自然の関係をゆっくり問い直すことなのです。
 私は学校の家庭科の宿題であさりのチャウダーを作りました。その時、農協で新鮮で、旬な野菜を選び、どんな味付けにするかを考えて作りました。野菜は自分で皮をむき、炒めて作り上げていきました。これこそスローフードだと実感しました。電子レンジでチンして、ただ食べて終わりという食べ方ではなく、材料を選び、時間をかけて気持ちのこもったものを作ることがスローフードの原点だと思ったからです。
 今の日本人は、安いということだけにこだわってしまっていて、スローフードの良い所を知ろうとしない人がいます。確かに、安くて早いことは良いことだとは思いますが、おいしい材料でおいしい物を作ること、それを食べることにうれしさを感じたりするのではないでしょうか。私にとって、おいしい材料で手間ひまかけて心を込めて作るものが食べ物でありそれは、スローフードでもあるです。
 日本は豊かな自然に恵まれています。昔からのやり方で作っていくものこそスローフードではないかと思いました。食べ物以外で伝統工芸品など、日本独特なやり方で今まで受けつがれているものもスローライフにつながっていくのだと思います。外国から渡ってきて、そのやり方を同じように利用しているファーストフードとは違い、早くて便利ではないけれども、日本独自でそれぞれの人の作り方の違いがあることがスローライフなのです。
 私の行っていた幼稚園では、かき、さつまいも、お米などたくさんの食べ物を作っていた。育てることに興味を持ち、泥だらけになって苗を植えたお米は、毎日のように、ほんの少ししか大きくなっていないがどのくらい伸びたかを見るのが楽しみでもありました。最初は土で汚れてしまっていやだと思っていましたが、苗を植えることの楽しみが分かると何本も苗を植えました。自然でできた植物というのは、人間にエネルギーを与えてくれるような存在でもあるような気がしました。私の家は、農協で野菜を買い、生協で調達しています。私は、そういう環境で育ってきていることに対して、誇りを感じています。(2003年 13歳)

 アメリカ同時多発テロ”9.11”から8年以上がたった。当時小学1年生だった私。このときテレビで見たなどの記憶はない。この事件でアメリカン航空11便が突入したのが世界貿易センタービルだ。
 この世界貿易センタービルが再建設されるかの話し合いは滞ったままである。今、そんな世界貿易センタービルの周りでデモが起こっている。彼らは、世界貿易センタービルが再建設されないと、仕事が来ないのである。世界貿易センタービルが再建設されることにより、お金が労働者に渡るのである。
 この不況だからこそ、お金を使い労働者を雇い労働者にお金を渡し良い循環が出来るのはいいことだと思う。しかし、このテロによりビジネスができるのはなんとも悲しい話である。また、いつしか世界貿易センタービルが普通のビルと化してしまうのだろうか。(2009年 14歳)

 最近、私は「生きているってどういうことだろう」と思うことがあります。
 三年ほど前に、テレビのドキュメンタリー番組で、私はアシュリー・へギさんの事を知りました。彼女は生後九ヶ月のときに、800万人に1人の割合で生まれるプロジェリアという病気だと診断されました。それは普通の人の10倍の速さで老化が進行し、まだ治療法の見つかっていない病気だそうです。アシュリーさんは激しい運動はもちろん、普通の人より出来ないことは多いですが、明るく前向きに生きる姿に小学生ながらも感動したことを今でも覚えています。さらにびっくりしたことは、彼女は私と年がそんなに変わらないのに、命についてちゃんと向き合って考えている、ということです。生きている年数に何ら変わりはないのに、命の重みやありがたさを素直に感じている彼女の姿がとても素敵でキラキラしていて、私は一種の衝撃を受けました。
 それなのに今の日本では、いじめなどで自らの命を投げ捨ててしまう自殺者は年々増加しているし、心無い殺人事件は後を絶たず、悲しいニュースを聞かない日はない、というのが現状です。先日、土浦で起きた連続殺人事件においては、私の通っている学校と割と近い場所だったので、その近くに住んでいた友人は恐怖から怖い夢を見たそうです。このような事件が身近に感じられるのは、とても悲しく思います。
また、テレビのバラエティー番組などで、「死ね」という言葉をたびたび耳にします。若い人々の間でも「死」という言葉を簡単に使いますが、そんな簡単に口にしていいものなのか、と疑問に思います。なんだか世の中全体が、命に対して希薄なのではないか、と思います。だからリストカットなどの新しい言葉が誕生し、自殺志願者も増加してしまうのではないでしょうか。
私にとって“生きる”とは、毎日学校に行って部活をして、家に帰ったらすぐに寝る。そんな日々の繰り返しで、忙しくて大変だけれど、たまに夕飯に出る大好物のクリームシチューで嬉しくなる。テストの成績がちょっと上がって嬉しくなる。そんなささいな幸せが、明日も頑張るエネルギーを作っていくのだと思います。しかしアシュリーさんは、常に今という時間を精一杯生きなくてはいけません。“生”についての捉え方は人によって様々です。
 生きたいと思っても生きられない人がいる中で、生きているのに疲れた、そんな理由で命を投げ捨てる人もいる。なんて理不尽な世の中なんだろう、と思います。私自身ももっと命について真剣に考えていくべきだし、沢山の人々に命の重さを知ってもらいたいと思いました。(2008年 15歳)

 2003年1月13日、横浜市では2万4000人が成人式を迎えた。荒れる成人式が毎年クローズアップされる中、横浜市でも当日小さなもみあいがあった。今年は逮捕された新成人はいなかったが、去年は7人も新成人が逮捕された。
 一生に一度しかない成人式をただ「めだちたい」というだけで台無しする新成人はもったいないと思う。これから大人というのに、他の人に迷惑ばかりかけているので、この人たちは、まだ成人式の意味を知っていないことになる。新成人が20歳なった今、大人としての責任をとらなくてはいけない。
 僕はこんな成人式を迎えたくない。僕が成人式を迎える時は、大人としての責任の重大さを理解して、気持ちの入替りとして、成人式を迎えたいと思う。
 僕は4年生の時に学校で2分の1成人式をした。それは、20歳の半分である10歳を祝うことだ。2分の1成人式は、大事な1つの経験になったと思う。それは、大人にむかって一歩進んだことだ。つまり、一つ一つの積み重ねが自分を大人にしていくと思う。
 成人式を迎えた人も一歩ずつ進んできて大人になった。20歳は大人になった証拠のはずだが、この新成人たちがホントに大人になるのはいつだろうか。(2003年 11歳)