記者:曽木颯太朗(15)

「捨て子台」を設置していた、東京都済生会中央病院乳児院の大庭看護師長へ取材

 乳児が捨てられるのを防ぐために熊本県の慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」(巷では「赤ちゃんポスト」と呼ばれている)を設置してからそろそろ4ヶ月になる。これは諸般の事情によって育てられない生後2週間までの乳児を病院に預けるというもので、ドイツでは同様の施設が全国で 80 ヶ所を超えるといい、各国に広まっている。

 しかし、日本で設置するときには「かえって育児放棄が増える」「倫理的にいかがなものか」と反対・慎重論が根強かった。設置後も 3 歳児が預けられていたなど混乱が絶えなかった。赤ちゃんポストを設置することは、そんなによくないことなのだろうか。また捨て子の実態はどのようなものであるのだろうか。

 日本にはこの施設以外に同種のものとして児童福祉法に定められた乳児院や児童養護施設といった施設がある。僕たちは捨て子の実態などについて東京都済生会中央病院付属乳児院の大庭看護師長にお話をうかがった。

 乳児院は 0 歳~ 6 歳までの子どもを受け入れることができるそうだが、現在同院には 0 歳~ 2 歳までの子どもしかいないという。乳児院の最大の目的として大庭さんは「大人は優しい存在だと分かってもらうこと」を挙げる。

 済生会の乳児院の歴史は古く、 1923 年に始まる。詳しい記録は残っていないが、当初は戦災孤児が多かったそうだ。現在入所には児童相談所の決定が必要だという。大半が母親の病気による一時保護で、虐待・育児放棄によって保護された子どもが若干いる程度、本当に親が分からない子どもはほとんどいないらしい。だから全体の 80% 弱は実家に帰れるそうだ。そして残りの子どもは里子や養子に出されたり、児童養護施設に預けられたりするのだという。

 一時保護でない子どもたちの中で多いのは、妊娠に気づかないで産科に通わず、突然出産してしまう「駆け込み分娩」の後、母親が姿を消してしまうケース。また 10 代の出産により乳児院に子どもが預けられることもあるという。

 この乳児院には終戦後の一時期、捨て子を預かるための「捨て子台」という捨て子を置くためのベッドがあったという。資料はほとんど残っていないらしいが、戦争で育てられなくなった子どもが乳児院前に捨てられて凍死するのを防ぐ目的だったそうだ。いつまであったかも明らかではないが「おそらく児童福祉法が制定された昭和 23 年ぐらいまで」と大庭さんはいう。

 それでは公的な施設ではない「こうのとりのゆりかご」は一体どうして出来たのだろうか。慈恵病院の蓮田理事長に電話で取材を行った。

 設置した理由について蓮田さんは「日本では捨て子は少ないと思ってきたが実は多いことを知り、助けられる命は救いたかったから」だという。安易に子どもを捨ててしまうのではないかという問いに対しては「子どもを捨てるというのは並大抵のことではないから安易にはそうなるはずがない」と答えた。その上で、設置後、全国から子どもの養育や妊娠、結婚などについて多数の相談が寄せられていることに触れ、「全国に相談窓口をもっと増やすべきだ」と語った。

 このような施設はできれば使わない方がよい。しかし虐待や養育放棄によって死んでしまうことを考えると、このような施設に預けられた方が子どもにとって幸せになる場合もあるだろう。倫理的な問題で反対する人はいるが、現代の生命を軽んじる風潮を考えると“命を守る”という観点から、いたしかたないと思う。もちろん、そうなる前に国や自治体は相談窓口を増設することや、積極的に教育を行うべきだ。予算が足りないからといって必要なところまで削っている場合ではない。実際に全国でゴミ捨て場から乳児が発見されるという事件が相次いで起きているのだ。養育のための補助金を増やすよりよっぽど効果があるのではないか。