原衣織( 15 )、三崎友衣奈( 15 )、藤原沙来( 17 )、寺尾佳恵( 18 )
2007/04/24

 2007年3月~4月にカンボジアのシェムリアップ地方を訪れた記者が、現地の教育に触れて感じたこと、これから自分たちができることを話し合った。カンボジアの教育を肌で感じてきて、記者たちはなにを思ったのだろうか。

司会者:カンボジアや日本の教育に対してどんなイメージをもっていましたか?

友衣奈:小学校は公立、中学校は私立だったのですが、教室や黒板があって、みんなが教科書を持っていることしか見てこなかったので、教科書がないとか、寺子屋がどんなものかが想像できませんでした。でもカンボジアの学校にも黒板はあったし、どういうふうに勉強しているかも分かりました。ただ勉強できる幸せというのをかみしめているところは、日本と大きな違いがあるなと感じました。

衣織:日本では中学までが義務教育とされていてもほとんどの人が高校へ行くし、学校は存在して当たり前。(カンボジアに)行く前に「教育を受けないということは人権の侵害」だという話も聞いたのですが、それもあんまりピンとこなくて、教育は権利というより義務ととらえていました。

沙来:日本では高校だけでなく大学にも行くというのが一般的な考え方。先生によく「教育を受けるのは自分のため」と言われても、自分のためだと思ったことはないし。「勉強したくないな」という贅沢なわがままももっているので、自由奔放に成り行きにまかせて行っているなと感じました。

佳恵:私は「教育」と聞くと、「学校」や「教えられる」ことをイメージしがちだったんですけど、今回寺子屋で職業訓練も一種の教育だということを聞いて、「あぁ、確かにそうだな」って思いました。

職業訓練も教育

司会者:職業訓練でやっていたレース編みも教育だと聞いて、何か感じたことありますか。

友衣奈:職業について小学校でやることはなかったので、レース編みを通して自分で物が売れるということを体験していくことはいいことだなと思った。日本の小学校でもやれば、やる気が起こるんじゃないかと思ったけれど、環境が違うし。

衣織:最初に職業訓練があるって聞いたときに、「何で?」と思ったんですよ。カンボジアでは、知識人が大量に虐殺されたので、知識人があまりいないじゃないですか。だからみんなに教育を受けてもらって、識字だけでなく、もっと頭脳を使った仕事も増えたらいいなと思って見ていたので。そこで、教育に職業を加えるのは必要かもしれないけれど、そちらにばかり行ってしまうのもどうか、と思いました。

沙来:カンボジアでやっているようなことを小学校からやっている私にとっては全然驚くことではなくて、逆に教育がしっかりしていなくても将来のためのサポートができているのは、羨ましいと思ったし、日本にも是非取り入れて欲しいと思いました。

司会者:「キッザニア」にしても、学校で職業体験をするにしても、日本の子どもたちには差し迫った危機感とかは特にないと思うのですが、カンボジアの子どもたちをみて何か感じたことはありませんか?

友衣奈:カンボジアの寺子屋や学校では、小さい子でも稼がなければいけないというのがあるので、実践的ですぐに使えることや日常の知恵を学んでいて、職業を選べる余裕もないし、時間もないというのをすごく感じました。

佳恵:学校では勉強だけをやった方がいいのではないか、という意見があったけれど、今日、明日生活していくことを考えると、学校で職業訓練も教育としてやってくれたら次の日の生活につながっていくと思うけど。

司会者 : 夜の寺子屋でみた識字教育についての感想をきかせてください。

衣織:みんなが手を挙げていて、ちゃんと授業についていって参加している様子だったので、いいなと思いました。授業の感じは初めての英語の授業に似ていました。

沙来:授業が始まる前はそんなにうるさくなかったのに、始まったら、みんな手を挙げて、「自分をあてて」と積極的にアピールしているのを見ていると、勉強することが楽しいんだなと感じました。私がカタカナを書いていたら、それを真似するなど何にでも好奇心をもっていて。昼間は仕事をして疲れているだろうに、何よりも学ぶことに興味があるのだなと思いました。

友衣奈:カンボジアの生徒の「一回学んだものは絶対忘れない」とか、「先生の言っていることは一言も聞き逃さない」という態度は、本来日本の学校でもあるべき姿だと思うと、日本と比べて、貧しいのにきちんとあるべき姿を保っているということに感動しました。

学ぶことに対しての喜び

司会者 : 私たちが訪問した寺子屋とクラバン小学校を比較して感じたことがありますか?

沙来:寺子屋ではドロップアウトした子もいて、恵まれない子が多くいたけれど、クラバン小学校では、結構英語と日本語も話せる子がいたし、平仮名(日本語)を書ける子もいて、仕事と学業を両立させているなと感じました。コンピューターの授業とかもありました。小学校のほうが見た目には恵まれているし、それぞれ教育内容も違うけれど、両方の子どもたちの「学習したい」という意欲の高さには驚きました。

友衣奈:「学ぶことに対しての喜び」は寺子屋と小学校でも一緒だったなと感じました。カンボジアへ行く前は「親が子どもに働いて欲しいと思っている」と聞いていたので、学校をドロップアウトした子が寺子屋に入ってくるのは、やはり親も勉強してもらいたいと思っているからだと知って驚きました。

司会者 : カンボジアの人は勉強に対してすごくやる気満々で、食いつき方がとても違いました。私たちはこれまで日本で暮らしてきて、そういう場面を見たことがないと思うのですが、彼らのそういう姿を見て、改めて自分を振り返ったり、外に出てみて日本を見て感じたりしたことはありますか?

友衣奈:日本では仕事を得るために頑張って勉強して大学に行くということはあるけれども、本当に勉強が好きとか、ハングリー精神があってというのがあんまりないと思うんです。日本は本当にさめているなと、あらためて感じました。

衣織:日本だとちゃんと勉強すれば、いい大学に行けて、いい会社に入れて、いい暮らしが望めるという構図ができていているけれど、カンボジアでは、一生懸命勉強したからといって将来に絶対安定した暮らしがあるわけではない。それなのに、ちゃんと頑張っている子どもたちがいる。日本はこんなに恵まれているのに、だらけていたり、たまに授業を聞いていなかったりする自分を恥ずかしく思いました。

沙来:日本では学校の環境も整っているし、授業を聞いていなくても受験勉強は塾で学べば、有名な大学に入れて良い会社に入れるようなところがあって。カンボジアの子供たちが学習意欲をもって学んでいるのを見て、確かに自分は情けないとは感じましたが、日本にいる以上は仕方がないことだと思いました。

佳恵:夜の識字教室の雰囲気を見て、小学校 1 年生に入りたての頃にちょっと似ているなと思いました。 1 年生の時って、あんまり手を挙げるのを恥ずかしがったりしないのに、上の学年に進むにつれて誰も手を挙げなくなり、中学、高校になると、指されても答えないぐらいにまでなっている。「初心を忘れてはいけないな」ということをすごく思いました。

▲カンボジアの寺子屋

司会者:これから高校生活を送る人たちは、先に気づいておいて良かったなと思うことがありますか ?

衣織:カンボジアのほとんどの人たちが小、中、高と公立の学校に行っていたのですが、寺子屋から来ている人たちはかなり努力して高校まできていました。私は小学校の時にちょっと勉強しただけで、そのまま高校まできちゃいました。大学にいくには勉強しなければいけないものの、それまでは多少ゆっくり過ごせるって思っていたところに、「頑張って自分でお金を稼ぎながら勉強もしながら大学へ行く」という話を聞いて。ちゃんと教育を受けられることはすごいことなんだということを気づけてよかったと思います。

友衣奈:私は大学へいくために自分でお金を稼ぐということを考えていなかったので、すごいなと思った反面、「そこまでお金があったら他のことに使うのに」と思ってしまいました。ただなにかたくましさというものは感じました。

佳恵:カンボジアへ行ったときは、高校生活最後の週だったのですが、そういう時に「今から大学へいく。親が許してくれるなら、自分で稼いだお金で大学に行く」という話をきいたのは、とても衝撃的でした。その話を聞いてから考えたことは、自分に甘かったなということです。大学では今までのようにのうのうと、ラクして行くのではなくて、真剣に考えて学校で勉強している人もいるんだということを考えながら勉強しなければいけないんだなと思いました。

自分でできることはあるか?

司会者 : 同じ世代の高校生たちとシェムリアップの日本ユネスコ協会連盟事務所で話し合いましたが、彼等の大学進学話などを聞いて考えさせられたことがありますか?

座談会

沙来:日本で高校生が働いているというと、アルバイトだし、それは自分の娯楽のためにお金を得る手段という情けない理由でやっているなと感じますが、カンボジアの人たちは自分で決断して大学へいくために仕事をして、自分で月謝を払って大学へいくという、自分の将来を自分の手で切り開いているのにとても驚きました。ただどこの国にいても自分の将来を自分の手で拓かなければ行かないのだなと思いました。

司会者 : 「自分たちの手でカンボジアを変えたい」と言っていたのが印象に残っているのですが、そこまで考えている同い年の人がいるということを知って、自分でできることを考えたこととかありますか?

友衣奈:日本はあまりにも恵まれすぎていて、こういうことをしよう、というのは必要ないくらいに思っていたのですが、発展途上国の大学生が、自分の国を変えようと募金をして、寺子屋のホワイトボードを買ったり色々なことをしたりしている。これからは高校に行くときに学校の勉強だけではなくて、もっと他のことにも興味をもって、世界の色々なことを知ることから始めたいなと思いました。

沙来:私も個人的に発展途上国にすごい興味があったので、今回貴重な経験ができたなと思っています。日本はやはり恵まれているので、何かするといっても、募金とか限られた手段しかないと思うのです。それよりは今回のように実際に行って、自分で見て、そして自分が感じたことを伝えるということがとても大事かなと思いました。

カンボジアの寺子屋

衣織:募金などには今までも協力しようとか思っていたのですが、今回行ってみて、今まで以上に募金しようという気持ちになったし、カンボジアに行って、私が感じたことを記事にして、それを読んでくれた人が少しでも教育の大切さやカンボジアの現状を知ってくれたらいいなと思いました。

佳恵:私は報道に興味があって、将来メディアやジャーナリズムの世界で働きたいなと考えているのですが、そういう仕事について、「こういう社会に住んでいる人がいるんだよ」ということを記事に書いて発信するのも社会をよくする一つの方法なのかなと思います。だから、今回のカンボジア取材は、将来自分がどういう思いをもって働くのか、ということを考えさせられた貴重な経験になりました。

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