記者;飯沼茉莉子(10)
「今日は祝日なんだ。」
渋谷のバスターミナルへ向かうバスがひっきりなしに通る246通りで、私は思わず立ち止まりました。どのバスも先頭に小さな日の丸の旗を飾っていて、なんだか嬉しくなりました。アメリカで育った私が、日本で暮らすようになって初めて日の丸を身近に感じた時でした。
「どうしてもっと国旗を飾ったりしないんだろう?国歌をいつ歌ったんだっけ?」
日本へ帰ってきて、祝日に近所を歩いていても、アメリカのように国旗を飾っている家をほとんど見かけません。アメリカでは毎日国旗を見かけていて、アメリカの旗がついた洋服は人気があったし、文房具や食器なども、赤、青、白の配色を組み合わせたものがたくさんありました。私が通っていたアメリカの公立の小学校では、幼稚園から5年生まで毎朝宣誓をして、 5 年生になると全員が一人ずつ放送で宣誓をしていました。放送で宣誓が流れると、みんな一斉に手を止めて、帽子を被っている子は脱いで、それぞれのクラスにかけてある国旗のほうを向いて宣誓をしました。でも日本では、小学校も中学校も宣誓をしません。教室にも国旗がない。アメリカには中庭にいつも国旗が立っていて、どの教室にも必ずあったので、「なぜ?」と私は思いました。「日本では宣誓はないのだろうか?アメリカの宣誓は義務なのだろうか?」そんな疑問がどんどん膨らんで、私は国旗と宣誓について詳しく調べてみることにしました。
1898 年、米西戦争でアメリカがスペインに宣戦布告した翌日に、アメリカで初めての国旗敬礼法がニューヨーク州で成立しました。アメリカ全体の連邦法は、学校を含む公的機関の主要建築物などでの国旗掲揚を義務付けていますが、意義の指導、忠誠の宣誓、国歌斉唱等については連邦法ではなくて、それぞれの州法で決められています。
学校での『国家への忠誠宣誓』の儀式に対しては、宗教団体などによる反対が持続的に行われてきました。「『国家への忠誠宣誓』の儀式への参加強制は個人の憲法上の権利を奪うものか?」、「『国家への忠誠宣誓』の儀式は宗教的行事であるか?」など、合衆国憲法が保障する「信教の自由」、「表現の自由」を制限するものであるという考えがあり、議論や裁判が続いているようです。
日本では 1999 年に『国旗及び国歌に関する法律』が成立しました。
1999 年 6 月 29 日に当時首相であった小渕恵三は衆議院本会議において「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国家について児童生徒を指導すべき債務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものではないと考えております。」と答えたそうです。しかし、本法律制定後も、国旗に対する賛成派と反対派の対立は続いていて、いろいろな場面で問題となっているようです。例えば教育の現場において、式典でのこの問題をめぐり教員同士の間で賛否が別れて対立が起こったりするなど混乱は依然として続いているとのことでした。ここまでくると、難しすぎて私たちでは解決できないレベルになっているように思います。
ただ、法律で決まっていることは、日本もアメリカも考え方はほとんど同じだということが分かりました。それなのに、私たちの国旗に対する思い入れや扱い方の違いはどうしてこんなに差ができてしまったのでしょうか?
世田谷区 にある岩岡株式会社という国旗を専門に扱うお店に取材に行ってみました。店長の小泉さんによると、日本の国旗はここ数年特に売れなくなったそうです。代わりに、日本に住む外国人が、自分の家や店(レストランなど)に飾るために国旗を買っていくことが多くなってきたそうです。小泉さんが子供のころは、学校で国旗を毎朝揚げていて、とても大事にあつかっていたそうです。今私が通う小学校では、学校の校旗を毎朝揚げていて、日本の国旗は揚げません。祝日に学校がお休みなので、国旗を揚げる機会はほとんどないのです。これでは日本の子供達が日本の国旗を見る機会が減ってしまいますよね。
自分が小さい頃、よくアメリカの旗を描いて遊んでいたことを思い出します。私はアメリカが好きだったから描いていたのではなく、ただよく目につく所に国旗があったからだと思います。
旗には不思議な力があると思います。小さな旗を手にしただけで頑張ろうという気持ちがあふれてきます。日本の国旗にもう少し関心を持ってもらいたいと思います。いつか街に日本の国旗が増えるといいなと思います。