前田 佳菜絵(14)

 「お化け屋敷」というと、皆さんはどんなイメージを浮かべるだろうか。一般的には、怖い雰囲気なかで、お化けが驚かしてくる場所を歩いたり、乗り物に乗って進むものだろう。しかし最近は、来場者自らがストーリーの役を担い建物内を進み、架空の世界観に入り込めるお化け屋敷が増えている。このような新しいスタイルのお化け屋敷を打ち出したのは日本でただ一人の「お化け屋敷プロデューサー」である五味弘文さんだ。

 五味さんはお化け屋敷プロデューサーの仕事とは「お化け屋敷を一から十まで作ることだ」と語った。具体的には、お客さんにお化け屋敷の中でやってもらう役割、つまり『ミッション』を考えて、それに合わせたお化け屋敷のテーマを決めてからストーリーを考える。お化け屋敷内の演出や図面を決めたら、衣装を作る人や音響の仕事の人たちと打合わせ、お化け役のスタッフの教育もしていく。さらに開催後も運営の様子を見ていく。企画を立ててから開催まで7ヶ月は掛けたいと五味さんは言う。五味さんは、お化け屋敷を作りたいという気持ちはあったが、プロデューサーという形でお化け屋敷作りができるとは思っていなかった。「僕はお化け屋敷プロデューサーです」と言えるようになったのは最近だという。

 本来は怖いはずのお化け屋敷になぜ人は集まるのか。東京ドームシティで今年の夏に開催されていた「呪い指輪の家」というお化け屋敷の前で、会場から出てきたお客さんたちに聞くと、「一緒に来た人が入りたいと言ったから」「恐いもの見たさ、興味本位で」という人がほとんどだった。同じ質問に対して五味さんは次のように解説してくれた。人は「怖い」だけのものは体験したくないが、それをどこかの段階で「楽しい」に転換させられると一つのエンターテイメントになる。お化け屋敷の中ではかなり強いストレスや不安が与えられ続けるが、お化けが出ると「正体はこれだったんだ」と不安が解消され、それを繰り返していく。ここでいう「不安が高まる」ということは「期待が高まる」と同じことで、最後に外に出た時に全ての不安が解消され、そこで本当の楽しさが現れるという。

 だから、お化け屋敷のストーリーを考える時、五味さんは「テーマから発展させてストーリーを考えるが、リアリティーがなくてファンタジーのようなものを思いついたら『いいな!』と思う」と楽しそうに話した。「お化け屋敷の中で非現実的なものがあると不安が解消されて『楽しい』と思えるようになる。例えば、『呪い指輪の家』で主人公の鮎子の指から指輪が抜けない、というのもリアリティーがない」と五味さんは説明した。

 また、お化け屋敷の心理について五味さんは「人は怖い雰囲気の所を歩くと想像力の抑えがきかなくなっていくからさらに怖くなるのではないか」「入場までの行列で、例えば一人で来ていても前後に他のお客さんがいる。誰かと一緒に並んでいることが重要だ。多くの人と何かを体験することで、お客さん同士に共感が生まれるのだろう」と五味さんは推測する。ちなみに五味さんは自分がプロデュースしていないお化け屋敷にも行ったことがあるらしく「正直に言うと怖かった」と話していた。「でも、自分が作ったお化け屋敷を体験したお客さんには『怖かった』と言われるより『楽しかった』と言われるほうが嬉しい」と五味さんは語った。

 また、五味さんは遊園地だけでなく地方の商店街にもお化け屋敷を作ったことで話題となった。「地方の商店街にもお化け屋敷を作ったのは、商店街側から依頼があった。正直、ここでは人は来ないだろうなと思っていたが、多くのお客さんに来てもらえてよかった」と五味さんは話した。また、五味さんは「地方には大きな遊園地など、友達と外で楽しい体験ができるところが少ないから若い子たちも家に閉じこもってしまう。外で遊べる場をお化け屋敷として提供したところ需要が多くあった。シャッター商店街を活性化するという目的もあったかもしれないが、若い子たちの閉ざされている感じを瞬間的にでも解放してあげていると考えている」と真剣に語った。

 最後に五味さんは、これから作っていきたいお化け屋敷について「大きなお化け屋敷を作ってみたい。所要時間が長いお化け屋敷はストーリーをじっくり感じ深く入り込められる、海外にも作ってみたい。日本で作った会場に海外のお客さんは来てくれてすごく怖がってくれている。『恐怖を楽しむ』ということに関しては形の違いがあっても万国共通だから、自分の作ったお化け屋敷を日本発として海外に出していきたい」と話した。

 普段私たちが楽しんでいるお化け屋敷も五味さんや多くの人の「新しいものを作りたい」「より良いものを作りたい」という努力の上にある。これはお化け屋敷だけのことではなく、すべてのものの裏には制作に関わった人たちの熱い思いがあることをこの取材で学ぶことができた。表立って活躍する人以外にも、その裏で日々努力に勤しむ人たちにこそ私たちは注目するべきではないか。