記者:内田萌夏 Moeka Uchida(20)

2024年3月初旬、私は島根県の隠岐諸島にある海士町を訪れました。東京に住む大学生としての日々とは異なる空間を求め、「地域みらい留学」という、高校生が地方で学ぶ制度について聞きたいと思ったのが旅のきっかけです。しかし、本当の動機はもっと単純で、「離島への好奇心」でした。

海士町への道のり

 東京から海士町へ行くには、飛行機で米子空港まで向かい、そこからフェリーに乗る必要があります。予定していたフェリーに間に合わず、次の便まで5時間待つことになってしまいました。Google Mapを頼りにお店を探しましたが、営業中のはずのお店が実際には閉まっているなど、巡るのに苦労しました。最終的に地元の喫茶店「ピアス」に入ると、常連客たちが楽しそうに会話を交わしていました。その光景は、東京のような都会のカフェでは見られないものでした。フェリーの時間までは、喫茶店で本を読んだり、日記を書いたりして過ごしました。

突然の「よかったら来なよ」

 フェリーで海士町に到着し、泊まる予定の「お泊り処なかむら」まで雪の降る中を40分キャリーケースを引いて歩きました。(宿までは一本道なので歩こうと思えば歩けるが、途中に坂もあって中々にしんどい。)宿に到着すると、ロビーに8名ほどの大人が集まっていました。その日は偶然にも島根県立隠岐島前高等学校の卒業式で、卒業生の親御さんたちが打ち上げの準備をしていたのです。

 「今日このあと食堂で打ち上げやるから、よかったら来なよ」と声をかけられ、同席させてもらいました。打ち上げの途中で、宿の主人であるてつさんが突然「3月9日を歌うか」とつぶやき、なかむらのスタッフ達(ミカさん、かずくん、はなちゃん)が即興でレミオメロンの「3月9日」を演奏し始めました。卒業生4人が肩を組みながら歌い、人前でこんなにも堂々と歌う高校生に驚きながら、私は思わず感動して涙が出ました。続いて親御さんたちが「贈る言葉」を歌う場面もありました。即興だし、スマホで老眼鏡をかけながら歌詞を追っているせいで、歌はボロボロでしたが、子ども達への愛情が伝わり、あたたかくて素敵なひとときでした。

隠岐島前教育魅力化プロジェクト

 今回の旅では、「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」に携わる宮野準也さんにお話を伺う機会をいただきました。

 約15年前、島根県立隠岐島前高等学校は生徒数の減少により廃校の危機に直面していたそうです。この学校は島前地域にとって唯一の高校であり、その存続は地域全体にとって重要な意味を持っていました。高校がなくなることは、進学先の消失だけでなく、地域の子どもたちが島外へ出ざるを得ない状況を生み出し、結果としてUターンや定住といった選択肢を奪うことにもつながります。宮野さんは「学校がなくなることで、地域を離れざるを得ない状況が生まれ、『家族全員で本土に移り住む方がよい』と考えるケースも増えてしまう」と話してくれました。

 さまざまな課題を乗り越え、地域が主体となって職員を雇用し、学校に派遣する仕組みを構築。当初、生徒数の減少に伴い教員数も減らされ、学校の魅力が低下するという悪循環が続いていましたが、そのループを断ち切るべく、職員を増やし、教育環境の改善に尽力されたということでした。

宮野 準也さん

 まず、島内の中学生が進学してくる割合を増やすことに加え、全国募集(島留学)を開始。最初は説明会に参加者が集まらない状況もありましたが、徐々に生徒数が増えたそうです。その過程で、「偏差値や進学実績」といった従来の価値観だけにとらわれず、主体性や社会性、仲間との協働性といった非認知能力を重視した教育方針に転換しました。地域全体を学びの場と捉える教育課程も導入され、実践的な学びが可能な環境が整えられました。

 また、宮野さんは「生徒の中には勉強がしたい子もいれば、実践を重視したい子もいる」と言います。それぞれのニーズに応えるため、夜間に学習サポートを行う学習センター(隠岐島前教育魅力化プロジェクトが運営)を設置し、双方を支える体制が整備されました。

これから海士町を訪れる人へ

 海士町を訪れる際には、事前にしっかりと情報収集をするのがおすすめです。Google Mapを頼りにするだけでは、情報が古くて思うように巡れないことがあります。私も、到着後に地元の人々に話しかけることで、思わぬ出会いや観光のヒントを得ることができました。何より、現地の人に尋ねることで思わぬ出会いがあるかもしれません。また、交通機関の本数が限られているため、余裕を持ったスケジュールを立てるのが大切です。フェリーやバスの時間を確認しつつ、徒歩で移動する場合には道中の景色を楽しむ心のゆとりを持ってみてください。島のあたたかさに触れる旅は、特別な体験になると思います。ぜひ足を運んでみてください。

レンタカーを借りて島を巡った

 今回の取材では、離島ならではの将来を見据えた取組みが、都会とのつながりの中で社会的に意義あるものとなっていることがわかりました。この記事が、「地域みらい留学」に関心を持つ方をはじめ、誰かの背中を押し、海士町を訪れるきっかけになれば嬉しいです。


取材後記: この記事を書き始めるまでに半年以上が経過してしまいましたが、日記やメモを見返すと、海士町での鮮やかな体験が蘇りました。海士町で過ごした数日間、私は「密な人間関係」と「大自然の中での暮らし」を体験しました。それは東京の生活とは対照的で、人の温かさを感じるものでした。一方で、プライベートの少なさや、常に誰かと繋がっている環境に戸惑う自分もいました。東京生まれ東京育ちの自分には島暮らしには向いていないのかもしれませんが、それでも「また訪れたい」と思える場所となりました。