出席者:三崎令雄(12才、公立中学) 藤原沙来(14才、私立中学) 寺尾佳恵(16才、公立高校、司会) 2004/07/31
「ゆとり教育」と「生きる力」をキーワードとして2002年4月から導入された「新学習指導要領」。実施当初から「学力」の低下をもたらすのではないかなど、さまざまな問題点が指摘され続けてきたが、実施後3年を待たずに、「全面見直し」という状況(2005年2月15日文部科学相発言)を迎えている。 教科内容の3割削減と完全週5日制の実施、そして教科教育にとらわれない「総合的な学習の時間」が売りの新方針だった。だが、内容の削減以上の授業時間の削減や、人的・予算的措置の行き届かない「改革」に、現場は疲弊し、混乱を極めただけだったように見える。2004年12月発表のOECDの調査等でも、日本の学力低下は明らかな数字となって表れた。 こうした改革による激動のまっただ中にいる子どもたちは、この改革をどう見て、どう受けとめていたのだろうか。文部科学省が「見直し」を打ち出す前の、2004年7月に、3人のCE記者(中学生、高校生)が話し合っている。 |
●「ゆとり教育」が始まってわかったこと
佳 恵:「ゆとり教育」が始まっています。私達のお母さんの世代は土曜日も全部授業がありましたが、私が小学校1年生の時(平成7年4月)から土曜日が隔週休みになり、中学2年(平成14年4月)からは完全に土曜日が休みになっています。他にも教科書の内容を減らしたり、そうしたことを含めて「ゆとり教育」と言っていますが、まずこの「ゆとり教育」が導入される前の気持ち、期待なんかも含めて話してください。
令 雄:ぼくは4年生の終わり頃だったので、5日制になることは「やった!」と思いました。5年生になって補習塾に通うようになって、そこで図形の台形の面積をやり、「それは学校ではやらない」と言われて、内容が削減されたことを実感しました。
沙 来:小学校(公立)のときは土曜日も4時間、授業がありました。補習みたいにして、わからないところをプリントで解いたり、問題を先生に聞いたりしていたので、土曜日がなくなるということは勉強面で影響を与えると思いました。でも、総合学習を取り入れた時に、ボランティアとか将来勉強になる社会的なことをやって、(ゆとり教育の)良い面と悪い面がすごく分かった気がしました。
佳 恵:「ゆとり教育」が始まったら良くなるとか悪くなるとか……どう思っていた?
沙 来:中学受験のために行っていた塾が大変で、楽しみは小学校くらいでした。だから、土曜日に塾に行かなければいけないということになって大変さはあったけれど、(時間的な余裕ができて)良かったのではないかと思います。
佳 恵:それは「ゆとり教育」になれば良くなると思っていたこと?
沙 来:はい。
令 雄:ぼくは「ゆとり教育」で良くなると思っていた。5日制は土曜日に何かするためにあると先生から言われていたので、土曜日は色々な所へ行かれるのかなと期待していました。
佳 恵:例えば令雄くんは土曜日に何をやりたいと思っていたの?
令 雄:色々な所へ行くことや、友達と遊べる時間も増えるのかなと思っていました。
佳 恵:私の場合は土曜にCEに行ったり、好きな合唱などができるのかと思って、「やった!」と思っていた部分がありました。 では次に、実際に始まってみて、ここが明らかに違うというところを教えてもらえますか。
令 雄:授業数が減って、図工とかマイナーな授業が減った気がします。4年生の時には「総合」の時間が増えたけど、たいしたことをしていなかった。
沙 来:小学校と中学校では「ゆとり教育」でも環境が全然違うので(ひとことで言うのは)難しいのですが、中学校では「来週の月曜日までにやってきてください」という宿題がすごく増えて、土曜と日曜に宿題をやらなければいけなくなりました。授業で基礎ばっかりやっていても宿題を解けるわけではないので、小学校の時のように土曜日に補習をやってくれた方が勉強面ですごく良かったと思います。
佳 恵:私の通っていた公立中学校の場合、土曜が減って「総合」の時間が新しくできて、技術・家庭科のように実技系の教科の時間が短縮されました。5日制になる前は家庭科と技術が週に1時間ずつあったのが、0.5時間、つまり1週おきになりました。そうなると作業を進めるのに時間がかかってしまったし、そういう所が目に見えて違ったと思いました。
●塾に行かないと、みんなバカになる!?
佳 恵:実際に変わって良かった所と悪かった所を言ってください。
沙 来:私の中学校は技術が減ったりというのはなくて、どちらかと言うと家庭科の方が国語や数学より多いような感じです。そこに「総合学習」が増えて、社会と触れ合う時間が増えたのは良いと思うし、土曜に部活に時間を割く事ができるのがすごく良いと思う。だけど逆に土曜、日曜に遊んでしまったり、部活に割いていることで勉強ができなかったりというのは、なおしていかなければならないと思いました。
令 雄:体験学習という課外授業系が増えて、うちのクラスでは外の田んぼに行って自然観察をしたし、地層の授業で外で地層を見てきたりしたのが良かったです。
佳 恵:それはすごくためになると思う?
令 雄:はい、やはり本物を見た方が自然と触れ合う機会が増える。他のテストに近い授業が少なくなったということもあるけれど。
佳 恵:課外授業が増えた反面、数学や国語が減ってしまっているのね。そういうことに対して大学の教授とかは、大学生の学力がすごく下がっていると言っています。自分達の学力が下がったという自覚はないと思うけれど、実際に始まってみて、数学や国語の時間が減ったことに対してはどう思う?
令 雄:僕は塾に通っていたので、5?6年生の時は大丈夫だったけれど、塾に通っていなかった人は普通のテストでも100点をとれなかったり、悪い点数だったりとかして、塾に行っていない人はみんなバカになってしまう感じだった。
佳 恵:実際そういう100点取れなくなった子たちは、何か言っていた?
令 雄:100点取れない人はどうも塾に行くようになっていったようです。
佳 恵:じゃあ、塾に行っている人は多い?
令 雄:結構多いです。
沙 来:私の中学校でも、今使っている教科書は「ここのページは高校生でやるから、まだ中学生ではやらない」というページが数多くあります。でも大学受験したい子たちは、それでは勉強量が全然足りないので、私のクラスでもほとんどの人が塾へ行っています。先生に質問しても全然教えてくれなかったりするし。全てに対して「ゆとり」をもっていて、「ゆとり教育」をやる分にはいいけれど、大学受験にも対応できるくらいは勉強しておきたいと思います。
●「ゆとり」ってなに?
佳 恵:どんなところにも「ゆとり」をと言ったけれど、「ゆとり」って何だと思う? 心の「ゆとり」とか勉強面の「ゆとり」とか、内容が減ることが「ゆとり」なのか、内容が多くてもわかってゆっくりできることが「ゆとり」なのか。
令 雄:勉強の進み具合が「ゆとり」だから、進んでいることがちゃんと頭の中に確実に入っていることだと思います。
佳 恵:例えば授業の内容がすごく減っていますが、1時間で教えていることが、今が1で前が2として、それでも今、頭に入っていなかったら、これは「ゆとり」なのかなあ?
令 雄:「ゆとり」じゃないと思います。
沙 来:私の学校は教科によって進み具合が違って、特に数学とかはすごく進んでいて、公民とか主要科目ではない科目はすごくゆっくりやっています。基礎ではなくて、本当にゆっくりやって、1時間1時間「まめテスト」なんかやって。でも私にとってはそれは「ゆとり」ではなくて、全然勉強できていないことだと思うし、覚えることも少なくなってしまうし、あまり良い意味ではなく「隙間」という感じです。
佳 恵:文部科学省のインターネットで調べたところ、「ゆとり教育」の目標には「児童の人間としての調和のとれた育成を目指す。地域や学校の実態及び児童の心身の発達段階や特性を充分考慮して、適切な課程を編成する。児童に生きる力を育むことを目指し、創意工夫を生かし、特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成をはかる」って書いてあるんですが、授業がゆっくり進んだり、教える内容が減ったりすることによって、生きる力を育んだり、考える力がついたりすると思う?
令 雄:やっぱり授業が少なくなることはだめだけど、課外授業で生きる力を育もうとしているとは思う。僕は国語の授業が生きる力を育むと思うんだけど、5年?6年生の時の先生が、長文や長い物語が減って、一つ一つの漢字を覚えようというのが増えたと言っていたんです。漢字をひとつひとつやるのをやめて、長文を入れた方がいいと思います。そういうところをちゃんとしないと、授業数が少なくなったのだから生きる力を育めないと思う。
沙 来:国語とかでもみんなで一緒に考えてみようというのがすごく増えて、それについて「ゆとり教育」だからと口癖のように言う先生がいます。クラスでいじめとかがあっても、「それは自分達で乗り越えてこそ、立派な人間になれるんだよ」とか言っている。前はちゃんと対話してくれたのに、授業でも「こういうのもゆとり教育に入っているんだよ」と言う先生もいて、それはおかしいんじゃないかとすごく思った。「総合」などをやっていて、周りの人との関わりを大切にしていくのはかわるけれど、授業でそういうふうに「ゆとり教育」を使ったり、いじめとか子どもの間の人間関係で「ゆとり教育」を使うのはおかしいんじゃないかと思います。
佳 恵:私も内容をスカスカにすることだけが「ゆとり」じゃないと思う。学校の先生が実際言っているのは「時間が足りない」こと。授業内容も減っているけど、授業数がそれ以上に減っているわけだから、結局やっている授業自体そんなに「ゆとり」ではないと思う。
●「ゆとり教育」でも「落ちこぼれ」は減っていない佳 恵:文科省は「ゆとり教育」で授業内容を減らし、それは最低ラインだと言っています。要するに分からない人をあんまり出さないため、ということもあるんだと思う。でも、内容を減らして同じ時間の中で丁寧にやって、分からない人にも対応していくのなら、落ちこぼれの数が減るかもしれないけれど、授業数が減って内容が減っても、授業内でやらなければならないことがいっぱいいっぱいで、授業の体系も今ままでと同じように進んでいくのだったら、結局分からない人は分からないままの状態で、もっと勉強したい人は抑えつけられちゃっている感じになると思う。だから「ゆとり教育」と言っても、私はもう少し授業のやり方を工夫したらいんじゃないかと思うけれど。その辺はどう思う? 沙 来:何かの資料で調べたんだけれど、落ちこぼれと言われる人の数は全然変わっていないというデータが出ていました。最低ラインに合わせているなら、授業や土曜日を減らすだけではなく、他の対応の仕方、教え方を変えるとか、一人一人の生徒に合ったものを考えていくようなことが必要だと思います。
令 雄:僕のクラスにも落ちこぼれじゃないけれど、勉強のできない人が結構いるから、「ゆとり教育」の意味がないと思う。だから、授業を強化して、それでも出来ない人は補習授業みたいな工夫した形でやっていけたら、落ちこぼれの数が減るような気がします。
●「ゆとり教育」は間違いだった?
佳 恵:私が中学校の時に高校の校長先生が3人、学校のPRのような形で来ました。そのうちの一人が、今私たちがやっている「新学習指導要領」の案を作った時のメンバーだった人で、その話をしに来た時は私立の校長だったんだけど、「新学習指導要領」を決めた頃はまだ都立の校長をしていたんです。その人が自分で「あれは間違いだった」みたいな発言をしていたんです。決めた人たちが「あれはあんまり良くなかったんじゃないか」みたいなことを今言っているという状況の中で私達は勉強をしている。だからこれからのことも考えるべきだし、大切だと思うのね。今話したことを踏まえて、授業のやり方でもいいし、その他のことでもいいから、これからどうしたら、やっている私達のために一番良いと思うか言ってください。
令 雄:ちゃんと未来のことがわかっていないのに、勝手に決めてしまうのは、あんまり良くないと思う。そういう偉い人が勝手に決めても、授業をやっているのは生徒なわけだから、もう少し学生の意見をアンケートなんかで聞いて、それを踏まえて色々なデータから、こういう教育方針がいいというのをやってもらえればよいと思います。
沙 来:塾へ行っている人たちは土曜、日曜は塾のことがはかどって、「ゆとり教育」っていいなと思っている人もいるかもしれないけれど、私にとっては補習授業をやる事に対しても「ゆとり」じゃなく、かなり強制的なことだし、授業でもかなり詰め込まれていて、全然「ゆとり」になっていない。「ゆとり教育」というものが私にははっきりしたものとして全然見えていないです。始まる以前はいいなと思っていたけれど、実際に「ゆとり教育」を受けてみると、やっている意味が本当にわからないし、どこの部分が「ゆとり」なのかもわからない。学力低下と言われている中で、最低ラインの基礎をかためていると言われても、実際そうはなっていないと思う。授業内容を変えろとは言わないけれど、土曜に授業をやってくれた方が私は良いと思う。「ゆとり教育」(の中身)をはっきりさせて、落ちこぼれを減らして、前みたいにぎゅうぎゅう詰めでもいいから、「ゆとり教育」をもう少し見直してくれた方がいいと思います。
佳 恵: 「ゆとり教育」の定義を調べたのだけれど、いまいちはっきりしたものがなくて、私も今だに「ゆとり教育」と言われて、「こういうものです」ってはっきり言えません。日本中の人全員がそういう状態だと思うから、「ゆとり教育」自体が良いとか悪いとか言うよりは、将来の日本をつくっていく子供たちに受けさせる教育として、どういものが良いのかということを一番に考えるべきだと思う。今は学生の殆どは楽になってよかったと思っているかもしれないけれど、その人たちが大人になった10年後、20年後は、「ゆとり教育」を受けてきた人たちが国の中心になるわけです。そうしたら結構日本の経済とか技術とかも危なくなるのではないかと思う。令雄くんが言ったみたいに学生の意見を聞く事も大切だけど、学生の意見だけだと楽な方が良いという人も絶対多いと思うから、目先の「今どうするか」ということだけじゃなくて将来のことも考えて、その人たちが大人になった時に日本がどうなるかということまでを考えて、教育の内容を作っていって欲しいなと思います。