記者:原 衣織(16

 「少年法」はその名の通り、罪を犯した少年に関する法律だ。しかし、その内容を正確に把握している「少年」は、日本にどれほどいるのだろか。たとえば殺人などの重大な罪を犯した場合には、小学五年生でも少年院に入る可能性があるということを、中学二年生でも無期懲役に処せられる可能性があることを。

 今から8年前の平成12年、半世紀ぶりに少年法の改正が行われ、その中の「刑事処分可能年齢の引き下げ」と「16歳以上の少年が殺人等を犯した場合の原則逆送」が「厳罰化」だとして大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。さらに昨年11月には「少年院への送致可能年齢の下限の引き下げ」が実施された。これらの改正の背景には、近年の少年犯罪の「増加」と「凶悪化」があると言われている。

井垣康弘弁護士にインタビュー

 マスコミがセンセーショナルに取り上げる現代の非行少年たちは、まるで現代社会が生み出したモンスターのようだ。わたしたち現代の子どもは、昔の子どもと比べて質が変わり、凶悪化しているのだろうか。「厳罰化」の流れがこのまま続くと、未熟な子どもたちがどんどん罰せられるような社会になってしまうのではないか。

 このような疑問を持った私たちチルドレンズ・エクスプレス記者は、当事者である子どもの立場からこの問題を伝えたいと考え、法務省刑事局の飯島泰氏、並びに岡崎忠之氏、そして神戸須磨連続児童殺傷事件の審判を担当した元裁判官であり、現在は弁護士の井垣康弘氏に話を聞いた。

 まず意外にも法務省は、世間の見方とは違い一連の改正を「厳罰化」とはとらえていない。「昨年の改正による少年院への送致可能年齢の下限の引き下げについては、個々の少年の問題性に応じ、教育的な処分を可能にするものであり、いわゆる厳罰化ではない。平成12年の改正は刑法の刑事責任年齢(14歳)と少年法の刑事処分可能年齢(16歳)のダブルスタンダードの是正」だという。また、少年犯罪の件数について法務省は「ここ10年は大きく増えても減ってもいない。憂慮すべき状況であり、神戸須磨連続児童殺傷事件のような凶悪な事件も見受けられる」と述べた。ということは、少年犯罪はマスコミで言われているほど増加していないと法務省は認識しているということだ。

 では、少年犯罪の質は変化したのだろうか。法務総合研究所が発行している『平成17年度版犯罪白書』には、「少年院教官の認識では、最近の非行少年の中身に変化が見られ、その処遇が困難になっている」とある。そのデータによると「処遇困難な非行少年が増えたか」という質問に対し「増えた」と答えた教官が全体の70パーセント以上を占める。非行少年の中身の変化とは、具体的にどういったものだろうか。何千人もの非行少年に接した経験を持つ井垣氏は「昔に比べ質が変わったとは思わない。変わったとすれば恐喝が減り、ひったくりや窃盗が増えたことくらい」と述べる。最近の子どもにとっては「脅す」というコミュニケーションが必要とされる恐喝よりも、顔も見ず言葉も発せずにいきなり持ち物を無理やり奪うひったくりのほうが容易らしい。

 もうひとつ疑問なのは、少年法は私たち子どもに関する法律であるのに、子どもの意見は反映されず、また法律の中身についても何も知らされていないことだ。この疑問に対して法務省は、「パンフレットを作ったり『犯罪白書』を出したりしているのでそれらを見て欲しい。一般人に意見を聞く『パブリックコメント』という制度も設けている」とこちらからの積極的な行動を求める。義務教育の期間に学校にパンフレットを配布することなどは不可能なのかと尋ねると、「お金に限りがあるので全ての中学校に配るのは難しい。学校からの要請があれば講義したりはする」という答えだった。

 しかし、当事者である子どもだけが蚊帳の外におかれている現状の打開のためには、義務教育の段階で少年司法に関する適切な知識を子どもに与えることが不可欠である。裁判員制度の実施も踏まえ、法学教育としてカリキュラムを組むのはどうだろうか。

 「これからの少子化の時代、子どもを『怖い』と考える国は滅びる。子どもは『立ち直る』そう信じることが大切」と井垣氏は言う。「理解できない」と切り捨て、重い罰を与えることは簡単だ。しかし、いくらその時罰を与えても、その少年がきちんと自分の罪を自覚し更生しないような処分では、根本的な解決にはつながらない。そもそも少年法とは「二十歳未満の少年が罪を犯した場合には、成人のように罰を与えるのではなく教育的働きかけによって立ち直らせる」という考え方に基づく、「健全育成」を基本理念とした法律である。大人が持つ子どもに対する恐怖心のせいで、少年法のこの基本理念が忘れられたり、あるいは改変されたりするようなことがあってはならない。

法務省刑事局飯島泰氏にインタビュー

 学校や親、地域が一体となって子どもをケアすることにより非行に走るような少年を生み出さず、また非行少年に対しては「立ち直る」ことを信じて社会全体で見守りながら育て直していく。そんな社会になることを、子どもの一人として期待している。