宗教と共存する社会へ
瀧澤真結(13)
日本には初詣、クリスマス、お祭り、など様々な宗教のイベントが抵抗なく全国で実施されているので、一般的に宗教観があまりない国と思われている。日本人はこのまま宗教観を持たずに発展していって良いものなのか。宗教観とは何で、どこまでが宗教の一部なのか。そして日本のこれからを担う若者は日本の宗教についてどのように感じているのかを知るために調査し、取材をした。
高校生82名からアンケートの協力を得た。日本の宗教観については「現状のままでもいい」「分からない」「興味がない」「ごちゃごちゃしている」など様々な意見があった。また、結婚式や葬式はどの宗教で行いたいと思いますかという質問には、結婚式ではキリスト教は約52%を占め、仏教は0%だった。それに比べ葬式ではキリスト教が4パーセント、仏教は63%の割合を占めていた。これを見るとやはり一定の宗教に定着しておらず、イベントや習慣、メディアなどの影響から宗教的な行事も日本人はあまり考えず選択しているようだ。
今の若者の現状、日本の現状をどう思っているのかを知るために東京大学大学院文学部宗教学科の島薗進教授へ取材した。島薗教授は「日本の若者が宗教に対して関心が薄いのは宗教を知る環境が整っていないからで、若者が生活の大半を過ごす学校や家庭などで宗教について深く知る機会がない」と語った。また「今までは医療の発達や自動車の発達などから科学で人間を幸せにすることができるとされていたが、最近は環境問題や人間関係など科学によって起こされた「不幸せ」があり、それは科学では解決できないことが分かり始めた」とも語る。そして今は科学の世界から科学なしの世界を取り戻そうとしているという。
要因は科学だけに限らない。3.11の影響、政治の不安定さ、近代社会への失望から宗教を信仰する人は今後増えるのではないかと島薗教授は予想する。
日本の若者はアンケートの結果を見ると、大半があまり宗教について深く考えずに日々を過ごしていることが分かった。科学があまりに急速に進歩した今、科学だけでは解決できない不安をどこかで支えなければいけない。いっぽうで一定の宗教に縛られていないという良い面も日本にはあるので、幅広く宗教を知り、お互い尊重しあいながら共存する社会を私たち若者や日本は目指してはどうだろうか。
日本の若者、なぜ宗教に関心が薄い?
飯田奈々(16)
現在の日本の若者は、クリスマス・初詣・お葬式・結婚式のように複数の宗教にまたがって行事を行うことに、なにも違和感なく過ごしているように見える。違和感というよりも、宗教に対して関心が薄いといった方が正しいだろう。
では、このような状態になったのは、日本に特有の原因があるのだろうか。もしそうならば、解決策には何か。また今後宗教を信じる人は増えることがあるのだろうか。宗教学が専門の東京大学文学部の島薗進教授に取材した。
事前に高校生を中心に82人に行ったアンケートでは、“日本は宗教を信じやすい環境ですか?”という質問に対して、47人が「いいえ」、10人が「分からない」、25人が「はい」という結果を得た。圧倒的に「いいえ」が多かったことについて島薗教授は「今の日本では宗教が隠れがちで、見えてきたときは宗教が何か問題を起こしたり、つまり宗教が悪いと捉えられてしまう時ばかりであるからだ」と語った。
海外ではよくある病院や飛行場などの礼拝堂は、日本ではあまり見られない。普段公共的に宗教を分かち合える時や場所があまりない事が、47人が「いいえ」と答える理由でもあるのだろう。
ひとつの解決策は、広く宗教について学ぶ事だと島薗教授は指摘する。ある宗教についてだけでなく、他の宗教についても分かるようになれば、宗教が目に見えるようなものになり、いざという大事なときに、宗教とのふれあいに繋がるのだという。
しかし、解決策が分かっても、今の日本はまだ大きな問題を抱えている。日本では広く宗教を教えられる人がいないのだ。これからは、国全体で広く宗教を教える方向に向かうように、教員の養成をしていかなければならないと島薗教授は強調した。例えば公民の授業(倫理・道徳)の中に、宗教をプラスして行えばよいのではないかと言う。
今後宗教を信じる人が増えるかどうかについて島薗教授は、「オウム真理教徒によるサリン事件で、一時期人々は宗教は怖いものなのだという印象をうけ、宗教から遠ざかった。しかし日本の経済状態が悪くなってきて、人と人との繋がりも弱くなり孤独になってきた。そして東日本大震災が起こった。人々は世界の近代文明への絶望を感じ、その事でも心のよりどころを求めつつあるので今後宗教を信じる人が増えるのではないか」と予測している。
科学技術が発達した日本はそれに依存しすぎていると、失ってしまうもの、または得られないもの(生きる意味など)をどのように取り戻し、または見出していくかという問題に直面する。それが信仰心や宗教を知るきっかけになるかもしれない。
若者と宗教
毛利美穂(16)
日本では信仰の自由が認められているため、様々な宗教が存在し様々な宗教に属する人々がいる。日本では昔から、正月は神社で参拝、クリスマスを祝い、葬式は寺で行うなど、様々な宗教にふれて過ごしている。また、3月11日の東日本大震災以降は、心の救いを求めようと宗教に関心を持つ若者も増えている。現代の若者達はどれほど宗教というものについて考え、理解しているのかを取材した。
日本の若者の宗教観についてのアンケートを17歳、18歳の男女82人を対象に行ったところ、特定の宗教を信じ何らかの組織に属していると回答したのは8人だった。日本の若者は宗教的関心が高いとは思えないが、それの原因はどのようなことだろうか。
東京大学大学院教授で宗教学や死生学が専門の島薗進先生によれば、それは「学校でも家庭でも宗教について話す機会がないことや子供の頃に宗教にふれないことが大きな原因」ということだ。また、先に書いたように様々な宗教行事に何の抵抗なく参加していることについては、「クリスマスと葬式では度合いが違うかもしれないが、宗教としての意識を持って参加している者は少ない。葬式は日本では宗教行事というよりも亡くなった人への気持ちを表す供養の意味が大きい。他の行事についても、日本の文化として納得しているのだろう。日本では宗教が商業的目的で利用されているということも原因である」ということだ。
島薗教授の指摘はそのままアンケートの結果にも表れている。82人中、宗教的意識をもたず宗教行事に参加していると答えた人は72人もいた。海外のキリスト教信者とくらべればクリスマスや結婚式の意味を軽視していることもたしかだ。それも宗教的意味をもった行事ではなく、習慣であるという考えに近い。
では信仰心の薄い若者は、宗教にかわってなにをよりどころにしているのだろう。島薗教授によると、「上手く見出せているとはいえないが、話し相手を見つけることや、ゲーム・ドラマ漫画の中の登場人物に共通点を見つけ重ねている」である。震災後の日本人の行動や社会現象に見られる日本人の宗教観についても、「亡くなった人への供養の気持ちが強く、神を信じるという事よりも死者ために祈る、ということが強く感じられた」と島薗教授は話した。
宗教については1995年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件などから、宗教へのイメージが後退する傾向もあった。しかし社会情勢の悪化や都市化によって人々が抱き始めた孤独のよりどころとして、宗教に対する見方もやわらぎはじめている。近代文明への失望が宗教へ人々を向かわせている可能性がある。
日本の社会は宗教を信じやすい国ですか、というアンケートの問いに対し、いいえと答えたのは47人だった。半分以上の若者が信仰の自由が認められている日本は宗教を信じにくい国だ、と考えていた。島薗教授は「宗教について少しでも多くの事を知り、ニュースで伝えられる悪い面だけではないということを教える教員育成も必要になってくるだろう」と語った。情を感じることが少ないまま生きている現代の若者にとって、宗教はよりどころにもなる一方、犯罪などにも利用されやすいものだと理解することは重要だろう。
薄れる若者の宗教観
谷彩霞(15)
日本における宗教の信者数は、2010年時点で合計207,304,920人という数字がある。日本の人口の2倍近い数字だが、文化庁が日本の歴史で長く行われてきた神仏習合や、参拝者をそのまま信者数に含めたデータである。だが近年、若者の間で宗教について話す場が減ってきている。なぜ、若者の宗教観が薄れてしまったのか、私立高校生82人にアンケートを取り、専門家に取材をした。
「日本では宗教に触れる環境が整っていない。」そう指摘するのは東京大学文学部宗教学科の島薗進教授だ。「特定の宗教組織に所属する人は全人口の20~30%に落ちている。家庭内や学校で宗教に触れる時間が減っている今、若者の心のよりどころは宗教からアニメ、マンガ、ゲームへと変わってきてる。」と語った。
今回のアンケートでは4割以上の34人が「神に相当する絶対的存在がない」と回答した。科学が発し、生活が便利になり様々な病気が治せるようになった今、自然の中に人間や科学の力を超える存在があると思う若者が減っているようだ。
「科学で人を幸せにできると知った一方で私達はたくさんのものを失っている。科学だけでは全てのものを得る事は出来ない。生きている意味を失わせてしまう」と島薗教授は話す。
また、アンケートでは72人が宗教行事に宗教を意識せず参加しているという結果が出た。日本の若者にとって宗教行事は娯楽に近いものになってきている。日常生活や習慣の一部ともいえるほどだ。さらに、日本の社会は宗教を信じにくい環境にあると思う学生が47人いた。これについて島薗教授は「日本では宗教が隠れている。宗教はオウム真理教の事件のように問題が起きた時しか公の場には出てこない。日本で宗教を信じやすい環境にするためには、宗教が社会の公共的な部分に見えることが大事だ」という。
ではどのようにしたら日本で宗教を信じやすい環境にすることが出来るか。島薗教授は2つのことをする必要があると語る。
一つは日本の病院を変えること。「日本の病院は外国の病院と比べて宗教的な場がない。死を意識する人が多い宗教的な相談ができるチャプレンが必要だ。」チャプレンとは教会や寺院に属さず、施設などで働く聖職者のことである。「チャプレンを増やすことで人々が宗教をより身近に感じられるようにするべきだ」と島薗教授は話す。
二つ目は学校教育を変えることである。多くの日本の学校では宗教を深く教え込んでいない。宗教を教える教育者がまず必要である。
また、島薗教授によるとミッションスクールに通う若者達もが宗教に対して関心が薄いのは、宗教は成績が付けにくく、受験科目になりにくいからだという。そのためには自分自身で問題意識を育てて行く必要があると言う。
3月11日に起きた東日本大震災では、人間は自然の力を超えることが出来ないと改めて知った。しかし、科学の方が「神」や「自然」の力より優れていると思っている若者が増えているのが現状のようだ。近代文明がいかに危ういかを気付かされる取材だった。
日本の未来と若者の宗教観
澤山友佳(16)
神道、仏教、キリスト教…日本には数多くの宗教が存在する。1946年制定の現憲法でも信教の自由が認められ、世界各地で起きている深刻な宗教対立とも無縁のように感じられる。しかし、本当に日本社会は宗教を信じやすい環境だろうか。
私たちチルドレンズ・エクスプレス記者が82名の中・高・大学生を対象に実施したアンケートでは、60%が「日本は宗教を信じやすい環境ではない」と回答した。その理由には「周囲に宗教を信じる人がいない」ことや「宗教を身近に感じない」ことを挙げる。
現代の日本の若者は宗教との接点が全くないかというと、実はそうでない。アンケート回答者の9割超がキリストの降誕祭であるクリスマスを祝ったり、神社や寺に参拝したりしたことがあるという。そして、日本の若者にとって宗教の垣根に抵抗はないようである。葬式は60%近くが仏教式で行いたいと答えているにも関わらず、結婚式については半数以上がキリスト教式で挙げたいと答えている。日本の若者は様々な宗教に抵抗なく付き合っているようだ。
では、日本が宗教を信じやすい環境ではない原因はどこにあるのか。東京大学文学部宗教学科の、島薗進教授(63)に話を聞いた。島薗氏によれば、一つには、歴史的な要因があるという。明治時代、日本は国家神道のもとに思想統一が行われ、そのまま太平洋戦争へと突き進んだ。そして敗戦後、戦前の全体主義への反省から宗教というものが危険視されるようになった。また、現在の宗教の社会への表れ方にも問題があるという。宗教組織によるテロや事件など宗教の悪い側面ばかりが表になる一方、宗教の真の姿は隠れてしまいがちであり、歪めて伝えられている。同氏によると、そもそも日本人にとって宗教というのは「死者と共にいる」ことを大切にするものであり、思想的側面に比べ生活習慣や文化、祭典としての側面が強い。そのため、多くの日本人は様々な宗教を文化として取り入れつつも、「信じる」という行為に馴染みが薄い。これも「宗教を信じにくい」と感じさせる一因だと島薗教授は指摘した。
さらに、同氏は思想的背景が希薄であることが日本社会の様々な面に影響を与えていることに警鐘を鳴らす。例えば、「KY」という言葉に代表される、自分の考えを明確にせず周りに合わせてしまう風潮がある。強い思想的基盤がないために、生や死、人生などといった深い問題について考えるきっかけが少ない。必然的に各人の信念・信条となるものが発達しにくいのである。もちろん、周りを気遣うことは日本人の良さでもある。しかし、これでは「個人のイニシアチブが出にくい」つまり、リーダーシップの欠如という現代の日本が直面する深刻な問題にも直結している。また日本人が宗教をお祭り感覚で取り入れ、安易なものとして捉えてしまうことは、海外との間の文化摩擦にも発展しかねない。
こうした問題の解決策として、同氏は宗教についての十分な学習機会が必要だと訴える。学校教育の場で、宗教の内容について広く公平な立場でもっと教えていくべきだという。そのためには、まず教えることのできる教師の育成から始めなくてはならない。時間のかかる改革だ。 若者の宗教観というものは、実は日本の未来の大きな鍵を握っているのかもしれない。