記者:福田有佳 Ayaka Fukuda(16)
日本において初めてオープンリー・ゲイとして公職に選出された石川大我議員は、立憲民主党所属の参議院議員である。1974年に生まれ、若者支援のためのNPO法人代表理事、参議院議員秘書を経て、2011年豊島区議会議員に初当選。ジェンダー問題だけでなく多様性の尊重できる社会を構築する為に幅広い活動を行っている。2023年11月16日、参議院議員会館にて、石川議員に同性婚の行方について伺った。
記者:はじめに、政治家になろうと思った経緯を教えてください。
石川議員:もともとなろうと思っていたわけではありません。まず、小学生の時にぼんやりと、自分が今でいうLGBTの当事者じゃないかと気づきました。中学生ではっきりそれを自覚しました。当時は1980年代で、非常に偏見が多かった時代です。
そういった中で、日本国憲法に出会いました。日本国憲法の第14条には法の下の平等によって差別されない、ということが書いてあるわけですね。だけど、自分は好きになった人と結婚することができない、あるいは自分がLGBTの当事者であるということを言うことすらできない。そんな日本の状況はおかしいなと思いました。
2000年にLGBTの人権を取り扱うNGOに入り、講演活動をしているうちに、多くの人が我々に理解を示してくれました。まずは、やはり人に知ってもらうことはとても大切だということに気づきました。そこで、さらに広く一般の人に知ってもらうために、テレビや新聞に積極的に出演しました。2002年には『ボクの彼氏はどこにいる?』(講談社)という本も出版しました。また、2009年には孤立しているLGBT当事者たちをつなげるためのNPO法人ピアフレンズを作りました。当事者たちがつながるきっかけを作ろうと思ったんですね。そして最後に「政治に関わる」ということが残ったんですよ。世の中のルールや決まりを作っているのは政治ですから、法律や条例というものを実際に変えていかないと社会は良くならないという思いで、2011年に豊島区で立候補して日本で初めてゲイであることをオープンにして当選しました。
記者:豊島区議に当選された後、反対意見も多かったパートナーシップ制度*を全会一致で可決されたことが印象的ですが、当時の事を詳しく教えていただけますか?
石川議員:パートナーシップ制度*は、当選してから区議会の中で繰り返し「やるべきだ」と主張していました。2015年に渋谷区と世田谷区がパートナーシップ制度の導入を決める前から、ずっと言ってたんですよ。当時の交渉相手は副区長で、事前の打合せでは、導入は困難だと言われていましたが、交渉し、議会では「検討する」という答弁を獲得しました。2017年に当事者を含めた形でのアライ**の団体-NPO法人レインボーとしまの会-が設立され、その会員の方が自民党の議員さんと一緒に交流をしたり、説明をしたりという活動をやってくださったんです。この団体が、どこかの政党に属するということではなくて、各政党に対してフラットに、LGBT当事者の思いを伝えて回ったことがすごく大きな力になりました。彼らの力なくしてこのパートナーシップ制度は実現できなかったと思います。
*パートナーシップ制度: 自治体が同性同士のカップルを婚姻に相当する関係と認める証明書を発行する制度。 日本では2015年11月に東京都渋谷区と世田谷区で施行され、2023年6月現在、300を超える自治体で導入されている。
**アライ: 英語の「ally」がもとになった「同盟、支援」を意味する言葉。
記者:私たちは、どうすればLGBT当事者の気持ちに寄り添うことができるとお考えでしょうか。
石川議員:LGBTに限定しなければ、誰もが何らかの属性においてマイノリティの当事者になり得ます。「実は自分って当事者なんじゃないかな?」って気づくことが大切だと思うんですよね。自分はあらゆる点で完全にマジョリティだ、という人はいません。「男性だ」「大学院卒だ」とか、いろんな属性があります。ある時はマジョリティで、ある時はマイノリティになるわけです。だから、自分のマイノリティ性に気づいた時に、人に優しくなれると考えています。自分のマイノリティ性をさらけ出しても、お互いに受容していけるような社会にしたいですね。
記者:LGBT当事者である事を公表した時、不安や葛藤はありましたか?
石川議員:正義感に燃えていましたし、とても自由な家庭に生まれ育ったので、公表することで家族が何か嫌がらせを受けるかもしれないというようなことはあまり考えていなかったんです。親しい友人たちが離れていくこともほとんどありませんでした。やっぱりLGBTの問題を口にすることで、自分の周りにLGBTの問題に対してネガティブな事を言うような人が少なくなるという意味ではいいのかもしれないなとポジティブに捉えています。
記者:公表して良かったと思うのはどのようなときでしょうか?
石川議員:良かったことはたくさんあって、こうやってインタビューで高校生と話ができることは普通の仕事ではないことですし、「頑張ってください」とか、「ありがとう」と言ってもらえると頑張り甲斐があるなと思います。ただ、それだけ様々な人たちの思いを背負っているということでもあるので、プレッシャーを感じつつ、それを力にしていきたいと思っています。
記者:今後はどのような活動に取り組んでいきたいと考えておられますか?
石川議員:やはり同性婚の実現はこの目で見届けたいと思ってます。同性婚に関しての活動を始めたのは2000年で26歳の時ですから、もう23年も活動をやっているんです。26歳の時、自分はまだ結婚したいという年齢でもなく、「結婚」ということを遠い未来のように感じていました。ですが、今振り返ると「結婚」という選択肢がなかったことによって一つの大切なチャンスを奪われたと思っています。柔軟に人間関係を紡いできましたが、20代、30代に「結婚」という選択肢がなかったのは、やっぱり寂しいというか、残念というか、そのように感じます。
記者:同性婚は、具体的にどのような形で実現したいと思っていらっしゃいますか?
石川議員:婚姻制度とは別の制度を作るのではなく、今の婚姻制度の中で同性カップルも認める、つまり、婚姻の平等を実現するという形がいいと思っています。法的なレベルのパートナーシップ制度はヨーロッパで導入されていますが、これには宗教的な背景があるんです。ヨーロッパをひとくくりにすると誤解を招くかもしれませんが、キリスト教圏ということで限定すると、ヨーロッパでの結婚は教会で許可書をもらわなければいけないんです。
しかし、教会が同性婚を嫌がり、「許可書を出したくない」と言い出しました。許可書が出なければ結婚できないので、「では別の形を作りましょう」となって、婚姻とは別の形で同性同士のパートナーシップ制度が生まれたのです。そういう歴史から考えると、日本がパートナーシップ制度から同性婚というふうにステップを踏む理由がありません。
日本で同性婚訴訟をしていた弁護士によると、婚姻制度には遺産や養子など1400から1500もの権利義務関係があるそうです。LGBT理解増進法*の議論ですら、論点が少ししかなかったのにあれだけめちゃくちゃになりましたから、パートナーシップ制度を作るとなると国会での議論に莫大な時間と手間がかかりますよね。だから、今ある婚姻制度の中で同性のカップルも受け入れる方がはるかに簡単だと考えています。
*LGBT理解増進法・・・性的指向・性自認に関する特命委員会が法制化を進めている法案で、正式名称は「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」です。 差別禁止ありきではなく、あくまでもLGBTに関する基礎知識を全国津々浦々に広げることで国民全体の理解を促すボトムアップ型の法案です。(一般社団法人 LGBT理解増進会から引用)
記者:最後に、自分の性に悩むZ世代に対してメッセージをお願いします。
石川議員:自分が10代の時にはLGBTという言葉もなければ、同性が好きだなんてことは人前で言えませんでした。だけれど、これだけ時間がたって、徐々に社会は変わっていって、パートナーシップ制度ができて、同性婚が国会で話題になるまでになっています。自分の性に悩んで自殺する子がいるじゃないですか。でも大人になってみると、そのことで悩んで死んじゃうのは本当にもったいないと思うんです。自分が10代の時は想像もできなかった未来が今やってきている、その悩みはその時はつらいかもしれないけど、それが解消し、そして解決する未来が必ず待っていることを信じてほしい、そう伝えたいです。
取材後記:
初めてのインタビューでしたので、インタビュー慣れしていらっしゃる石川議員に助けられることが多々ありました。また、インタビューで訪問した参議院議員会館内にある石川議員のスペース内にはレインボーフラッグやトランスジェンダーフラッグなど様々なものが飾られており、ジェンダー問題に取り組む強い意志を感じました。
記者雑感:
高校2年生のこの時期は自分自身にとって、まさに進路選択の時期です。ジェンダー問題を解消するべく私自身が将来どのような形で関わるべきかという問いにも石川議員に返答を頂き、非常に実りの多いインタビューとなりました。