2005/5/19
記者:川口 洋平(15)
昭和52年から約20年間、新学習指導要領、週休2日制、総合学習の導入など試行錯誤を重ねられてきた「ゆとり教育」。今、この「ゆとり教育」が大きく見直されようとしている。
「ゆとり教育」は、従来の知識を単に覚えこませる「詰め込み教育」に代わる教育として、自分で考え、生きていく力を教育する目的で始められた。
しかし、この「ゆとり教育」という言葉が、この教育を受けている小中学生に、「なんとなく勉強しなくてもいい」というイメージを与えている。実際にチルドレンズ・エクスプレス記者が渋谷で、小中学生を対象に街頭インタビューをしたところ、「ゆとり教育の方が楽だからいい」「勉強をがんばらなくてもいいのではないか」などという意見が多数あった。
そもそもなぜ「ゆとり教育」という誤解を与えやすい表現が用いられたのだろうか。「ゆとり」という言葉は、文部科学省の諮問機関であった教育課程審議会(現在の中央教育審議会教育課程部会の前身)というところで、「ゆとりある充実した学校生活」として使われたのが最初。ゆとりを持って、しっかり覚え、自分で考える。当初は、そういう意味での「ゆとり」だった。しかし現場に方針が伝わらず、 先生にも「一生懸命教えなくてもいいのではないか」という誤解が生まれ、生徒にも「勉強しなくていい」という誤解が生まれてしまった。また、「ゆとり教育」の一環である、新学習指導要領にも問題があった。内容が大幅に削減され、余計に「ゆとり」の意味が履き違えられる結果となってしまった。その結果、昨年の国際学力調査の結果で、日本の子どもの学力が前回に比べて低下してしまった。
では「ゆとり教育」は失敗に終わってしまったのだろうか。塩谷文部科学副大臣に聞いてみた。「教育現場にゆとり教育の趣旨が正しく伝わらなかったのは、文科省にも責任がある。本来目指していたものが勘違いされ、間違っていたところがあれば、もう一度やり方を考えなおす必要があると思う」と述べた。
しかし、これは間違えたですむ問題なのだろうか。街頭でインタビューした中学生は「ゆとり教育の一環である、新学習指導要領によって学校での学習内容が減ってしまったので、将来が不安だ」と言う。そこで先日、中山文部科学大臣がゆとり教育の影響で、学校での学習量が減った中学生に対し「学校だけで学んでいる人には申し訳なかった。学校だけで基礎学力が身につくようにしなければならなかった」と謝罪をした。 文科省では、ゆとり教育の方針が伝わらなかったため、方針を見直すようだが、ゆとり教育から脱する訳ではないという。
新学習指導要領、教科書内容の増減など、年々教育内容が変化しているため、街頭インタビューを受けた中学生は「コロコロ方針を変えないでほしいと」言う。しかし塩谷副大臣は、コロコロ変えると言われるとそうではないと言いたいが、これが正しいというやり方がないため、試行錯誤をしていくしかないと言う。中央教育審議会で今秋にも、今後の教育方針が打ち出されるようだ。
試行錯誤をして、よりよい教育方法を見出すことは重要だが、方法を模索している中で教育を受けている生徒のことをもっと考えるべきではないだろうか。
真価発揮されなかった「ゆとり教育」