平和のバトンを次世代の子どもたちへ

記者:邊愛 Pyong Sarang (17)

戦後79年を迎えたこの年、世界ではウクライナ侵攻やガザ地区問題が勃発し、海を渡った先では今もなお戦争が続いている。このような状況下で、私(記者)の住む大阪の戦史を振り返り、平和について考えるため、ピースおおさか大阪国際平和センター(以下、ピースおおさか)の館長を務める片山靖隆さん、事務局長の小川克則さんにお話を伺った。

ピースおおさか 大阪国際平和センター(ホームページ)

大阪大空襲、模擬原爆が投下された大阪

 太平洋戦争中、大阪は50回を超える空襲に見舞われた。その中でもB29機が100機以上襲来した空襲は「大空襲」と呼ばれ、8回も発生したという。大阪が受けた空襲全体の被害家屋は、344,240戸、被災者1,224,553人、死者12,620人、重軽傷者31,088人、行方不明者2,173人(1945年10月 大阪府警察局「大阪府空襲被害状況」より)にも及ぶ。大阪大空襲のほかにも東住吉区への模擬原爆*投下や、度重なるB29の焼夷弾投下、天王寺動物園の猛獣処分など、太平洋戦争下での大阪の状況は凄惨を極めるものであった。

*模擬原爆:原爆投下を成功させるために訓練用として用いられた爆弾。長崎に投下されたファットマン(プルニウム原爆)と同じサイズ・形・重さでできていて、中には約5トンのTNT火薬が詰められていた。模擬原爆は日本全国で計49発も投下され、そのうち1つが大阪に落とされた。これによる死者は400名、負傷者1200名を超えたとされる。

 しかしこのことは文部科学省が定める教育課程(カリキュラム)上、小中高生が学ぶ歴史の教科書には詳しく明記されていない。教科書では原爆や地上戦が大々的に取り上げられ、大阪を含めその他地域に言及されることが少ない。そのためか来館者の中にも、「大阪に住んでいるのに空襲がこんなにあったなんて知らなかった」という人が多くいるという。私も同様に、ピースおおさかを訪れてから初めて知る史実がいくつもあった。

実物大の焼夷弾

 自分の住む地域が戦争時にどのような被害を受けたのかを知る重要性について、空襲の地図等を見て自分の住む街で空襲があったんだと知ることで、戦争を身近に感じられるのだと片山館長は言う。自分の身近なものと戦争を結びつけることで、より記憶に残る平和学習になるのだろう。

大阪国際平和センター(ピースおおさか)について

 ピースおおさかは1989年に平和の首都大阪の実現を目指し、大阪における戦争体験の資料展示や平和の情報発信基地として開館した。館内では実物資料や映像、体験画などを用いて、大阪空襲および戦時下の大阪の様子が展示されている。2015年には子どもたちが「大阪中心」に「子ども目線」で、「平和を自分の課題として考えることができる展示」をめざして開館以来初となるリニューアルが行われた。

 開館以来、延べ226万人(2021年時点)が来館した、大阪では有名な平和ミュージアムとなっている。また、ピースおおさかには外国人も多く訪れる。外国人来館者の正確な数と内訳は不明であるが、手に取られた日英中韓合わせて4種類のパンフレットの数をもとに算出した人数を教えていただいた。

のべ来館者数 約242万人(令和5年度末時点)
令和5年度総入館者数約72500人のうち、外国からの来館者約5400人
うち英語話者約3800人、中国語話者約1000人、韓国語話者約600人

 実際に私が何度か館内を見学した際も、外国人の方の割合が多いように感じた。人の出入りが活発な大阪城公園の中にある分、通りすがりの人も訪れやすいという利点も相まって、館内は老若男女を問わず人で賑わっていた。

来館者の声
「自分が住んでいる場所の歴史を詳しく知れてよかった。大阪に住んでいるが、大阪がこんな戦争を経験していたと知らなかったので驚いた。」(大阪在住40代男性と9歳男の子

「自分の国がなぜ戦争をしてしまったのかを考えるきっかけとなった。1t爆弾の実物大模型が特に印象に残った。戦争を身近に感じた。」(神戸から来館した女性

防空壕を擬似体験

 私がピースおおさかを訪問して館内を巡るなかで、特に印象に残った展示があった。防空壕の疑似体験ができるブースだ。防空壕を象った洞窟の中に入ると、逃げ惑う人達の叫び声、焼夷弾の爆発音が聞こえてくる仕組みになっている。防空壕に入り疑似体験をしたことで、以前よりも具体的な防空壕のイメージを持つことができた。今までは教科書のなかの話でしかなかった防空壕が、急にリアルな感覚となって目の前に迫ってきた。

 戦争を体験したことがない私たちは、戦争を想像することしかできない。戦争体験者がいなくなる時代が訪れたとき、知識を越えた体験ができるピースおおさかが存在する意義がより高まっていくのだろうと感じる。

館長の片山靖隆さん(右)、事務局長の小川克則さん(左)

「イスラエルやウクライナの問題をニュースで見ると思いますが、テレビを通して話を聞くとなると、どうしても実感がわかないことがある。知識としていろいろ知ることも当然大切ですが、それだけではなく、自分事として考えられるようにするのは大切なことだと思います。」(片山館長)

ピースおおさかの取り組み

 ピースおおさかでは、常設展示のほかにも、特別展示室にてシーズン毎に様々な展示を行っている。ここでは日本の歴史にまつわることだけでなく、第二次世界大戦やホロコーストなど世界各国の戦史が展示されている。(2024年10月1日〜2024年12月27日では、特別展「終わらなかった戦争 モノとマンガで知るシベリア拘留」が開催されている。)

 様々な取り組みのなかでも、大切にしているのが平和学習だ。講演会やコンサートを大阪大空襲や終戦などの時期に行う平和祈念事業や、出前展示、小中学生向けの平和学習サポート、語り部や平和紙芝居演者をはじめとした「平和学習協力者」の紹介など、大阪を中心に、次世代の子どもたちへ平和を語り継ぐことに力を入れてきた。(※語り部、紙芝居等の平和学習協力者の紹介は2023年に終了)今年度からは「平和学習デジタルコンテンツ」等、新たな取り組みも始まっている。

平和のつくりかた

 これからの未来を担っていく子どもたちに向けて、片山館長は「まずは知ってほしい。単に知識として知るだけではなくて、当時の人達の心境や社会情勢を知って、立体的に勉強してほしい」と語る。

「よく相手の立場に立つこと大事だという話がありますが、相手の立場に立つためには、相手のことがわかっていなければいけない。だから相手の理解し合える部分を話し合っていく、そういうことが平和につながっていくのだとと思います。」(片山館長)

片山靖隆館長

 そして最後に、片山館長は印象深かった出来事を振り返った。ある中学校の生徒たちがピースおおさかに来館した際、語り部のお一人が「平和を守るためにはどうすればいいか」と生徒たちに質問すると、その生徒たちは「知ること、話し合うこと、伝えること、忘れないこと」という答えたそうだ。戦争は「正義vs悪」ではなく「正義vs正義」だ、という話を以前耳にしたことがある。私たちは自分を正義だと思い込むと、途端に相手を理解する思考を止めてしまう。もし相手を知り、話し合い、伝えることができていたとしたら悲惨な戦争は起きなかったのかもしれない。

 戦争は国家間の問題として捉えられがちで、自分事として意識できる人は少ないだろう。だが一人一人が平和のバトンを次の世代につないでいこうとする姿勢が、今もどこかに転がっている小さな戦争の芽を摘む一歩となるのかもしれない。今この記事を読んでいる読者にも、自分の住む平和な場所がどのようにして築かれたのかを知り、平和をいま一度考えてほしいと強く思う。


取材後記: 憲法改正のニュースが話題です。私は、日本国憲法の前文にある「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という一文が好きです。ピースおおさかを訪問してから、この一文の重みを改めて感じました。過去から学び、過去を忘れないことをピースおおさかで学ばせていただきました。

自己紹介: 私は白ごはんをそのまま食べるのが苦手で、学校にはいつもお弁当と一緒にキャラクターふりかけを持参します。プリキュア、ポケモン、ちいかわなどいろんなふりかけを食べてきたなかで、一番おいしくてリピートしているのはアンパンマンです。小さい子も食べるからか、やさしくてまろやかな味がするのです。アンパンマンシリーズはふりかけ以外にチョコやレトルトカレーもあるのですが、不思議とどの商品もやさしい味がします。