出席者:三崎令日奈(16才)、大嶋はなみ(16才)、坪井遥(16才)
司会:秋津文美(15才)
2003/02/09

 若者が夢を見られない社会になったと言われて久しい。続く景気の低迷や失業率の高さなどが、それに拍車をかけているように見える。そんな中、高校生記者達が「仕事」を切り口に「幸せ」とは何かについて討論した。大切なのは収入か生き甲斐か、他人の幸せと自分の幸せのバランスの取り方は・・・?そんな若者らしい議論が白熱した。

自分の仕事、いつ頃決めますか?

文美:今日は仕事を中心に、幸せについて語ってもらいたいと思います。まず、将来何になりたいとか、どういう感じのお仕事に就きたいという展望はありますか?

遥:このところが得意っていうのはあるけれども、正直、今のところは無いです。分野にとらわれずにいろんなところでオールマイティーにやっていきたいと思っています。

はなみ:私は大学に入ってから決めようと思っているので、今のところはありません。経済的にちゃんと自立して、親に迷惑をかけないような仕事に就きたいという考えはあります。

文美:まだ決まっていないということですが、いつ頃決めようと思っていますか?

遥:期限は設けていません。自分がスキルアップしてるっていう実感を持ちながら前進していろいろやり続けていけば、自然と流れが見えてくると考えています。さっき大嶋(はなみ)さんが経済的自立と言っていましたが、僕はそういうのにはあまりこだわりません。

文美:じゃあ、ひどい言い方かもしれないけど、親のスネかじっても別にかまわないと思ってるのですか?

遥:親のところからは出ようと思ってるけれど、そこで自分が貧乏な生活をするにしろ、裕福な生活がある程度できるにしろ、そういうところにはあんまり価値を置いてないっていう意味です。

はなみ:大学3年生とかから就職活動をするわけなので、その準備もちゃんとできるように、大学に入って落ち着いたら、2年生の頭ぐらいまでにはちゃんと決めて、それに向かって準備したいと思ってます。

文美:さっき価値という言葉も出てきましたが、将来的にこうあったら幸せかなっていうのはありますか?

遥:自分がその時にやりたいことができてればいい。でもそれに継続性が無いとどうしても面白くないと思うので、多分これから見つかる自分が興味を持てる分野を、続けていけることがいちばん大きいと思ってます。

はなみ:自分の好きな職業を選んでその職業を続けていけるなら幸せだと思うんですけど、坪井くんとは違って、貧乏暮らしというかどん底生活というのは私はあまりしたくないです。

自分の幸せと他人の幸せ

文美:今、どういう時が幸せですか?

はなみ:自分の打ち込めるものがある時が幸せだと思います。ただ平たんな暮らしをしているとなんかそれに慣れてしまうと思うんですが、それは幸せじゃないと思います。

遥:例えばニュースで、世界のいろんな所ですごい苦しんでいる子供達などを見ると、相対的に見たらやっぱり自分は幸せな場所にいるんだなって意識する時はあるんですけど、今この生活を送っている中で、特別幸せだと実感する時はあまりありません。

はなみ:今、坪井(遥)くんが言っていたように、世界の貧困国から比べたら食べる物もあり余るほどあって、学校にも行って、字も読めて、私たちはすごく恵まれていて、とても幸せな環境にいると思うんですけど、やっぱりそれがずっと当たり前になってるから、そういうことで幸せに感じるというのはめったに無いと思います。

文美:そういう貧困国の人たちがいて、その人たちが不幸だっていうことを知っていながら、そういう人たちを助ける仕事に就こうとは思わないですか? というのは、私自身は人が幸せになるのが自分の幸せにもなる気がするからなんですが。

遥:他人が不幸せであったら、自分がその人を幸せにしてあげたいっていう気持ちはもちろんあるんですけど、でもひたすら他人の幸せのために生きていくっていうことはやりたくない。やりたくないわけじゃないけれども、自分があって他人があって、自分の世界っていうのが成り立つと思うから、そこで我を殺すようなことは僕はやらないと思います。

はなみ:助けたいなと思う気持ちはどこかにあるかもしれないけど、それを実際できるかどうかっていうのはまた別問題だと思います。じゃあ私が現地に行ったとして、いったい何ができるのかとか、お金をその人たちに送ったからといって、結局そのお金が貧困国の人たちの生活向上にちゃんとつながってるのかっていうことに疑問を覚えるし、この生活に慣れちゃってるから、例えばすごく使命感に燃えるとかそういうことは無いです。

文美:遥くんは相手がいくら幸せになっても、自分が幸せになるわけじゃないんだから嫌だということですか?

遥:いや、そういう意味でもありません。僕が、貧困国とか、その表現も失礼かもしれないけども、そういうところに行って、そういう人たちを助ける必要性というのを感じたらもちろんやると思うけれど、今ここで手に入れられる状況や実感っていうのは限られていて、そういう現実と自分の生活が今はつながってない。つながって無いままに助けたいとかって思うのは、逆になんか変に甘ちゃんな感じがします。自分が何かをやるという時には、はっきりした意義というか自覚というか、それを実感した上でやりたいと思っています。

「仕事」を選ぶときに一番重視すること

文美:では仕事を選ぶ時に、一番重視することはなんですか?

はなみ:私は収入を選びます。例えば自分が一番やりたい仕事があって、その次にやりたいことがあって、その収入の差があまりにもかけ離れていたとしたら、もちろん2番目にやりたい方を妥協して選ぶと思います。

令日奈:私が多分重視するであろうことは、自分が今までやってたこと、例えば大学で専修してたこととか、今までの経験とかが十分に生かせて、かつ、やってて自分や自分の人生のためになる仕事だったら一番いいなと思います。はなみちゃんとは私は反対で、そういう一番やりたい仕事で認められるようであれば、収入はそんなに高くなくても、生活していければいいかなっていう感じです。

遥:僕はさっきも言ったけど、意義。でもその中にも判断基準っていうのがいくつかあります。例えば社会への貢献度とか収入などで、その中で一番割合が高いのが、今のところは自分がどれだけ満足できるかというもので、その次に社会への貢献度がくる感じです。いくら社会に貢献できる仕事であっても、自分がやりがいを感じなかったりやりたくないっていう気持ちを持ちながらやっていたら、そこで100%の力は発揮できないと思うんです。あるいは、結婚したい相手とか恋人とかがいて、その人を幸せにしたいっていうことがその意義の中の、判断基準の一番上にきたとしたら、やっぱりお金を選ぶかもしれない。

安定イコール幸せか?

令日奈:今日、みんなに聞きたかったことがあるのですが、一つは個人的なことではなく一般的にどういう仕事に就くのが幸せだと思うか?というものです。例えば誰でも収入の高い仕事に就くのが幸せとか、そういう幸せな仕事の定義があったら教えてください。

遥:その定義はやっぱり無くて、自分の中での個人的感情でしか決められないと思う。こうならばみんな幸せというのがあればそれを言えるけど、僕はそんなのは考えつかない。

はなみ:私もやっぱり、みんながみんな幸せになれるわけじゃないと思うんですよ。だから、そういう基準ではあまり考えられないなと思います。

文美:私は公務員が一番幸せっていうか安定してる気がしています。なんでかっていうと日本がつぶれる時以外は公務員っていうのは仕事が無くなるっていうことはないから。

遥:安定イコール幸せなのかっていう話になるけど、僕はそうとは思ってない。人の幸せが自分の幸せかという話も確かに究極的にはそうなんだけど、でも言葉として悪いけど、一度に面倒見切れる人の数なんてそう多くなくて、自分のまわりの人間も幸せにできてないうちに、そんな遠い、例えばアフリカの人たちを幸せにしに行くことができるかっていったら、僕はできないと思う。だからどうしても自分のまわりからっていうのが常に頭にありますね。

令日奈:その安定イコール幸せかというのでちょっと聞きたいんですけど、文美ちゃんは幸せっていうのはまず生活がいつも安定してることだと言って、遥くんはそうじゃないって言ってますね。私は、すごい失敗とか波瀾があって自分の思ってたのと全然違って安定してなかった人生だとしても、例えば退職した時に、その状況を乗り越えられたと思えば、それも幸せって思うんじゃないかなと思うんですが、いかがですか。

文美:安定してるっていうのは収入が安定してるということです。公務員さんも例えば学校の先生だったらいじめもあるし、自分がいじめられることもあるし、昇進試験もあるだろうし、ほんとに安定した人生っていうのはないと思うんですよ。だから金銭的にある程度安定していたいということです。最低限の生活が守れるのは本当にごく少数だと思うので、あんまり危険を冒したくないんですが。

はなみ:乗り越えた時、自分が達成感を味わうことができて、それが収入よりもっともっと自分の得たいものだったならそれでもいいと思うんですけど、やっぱり自分が出会ってみないとわからないとは思います。

遥:秋津(文美)さんに質問なんですけど、さっき人の幸せが自分の幸せって言って、でも最低限の生活は求めたいって言ったじゃないですか。けっこう大きな違う価値観があって、人の幸せっていうのを自分の一番の大きな価値観にするのか、それとも最低限の生活、安定した収入っていうのを自分の一番の価値観にするのか、それはどっちなのかなって思ったんですけど。

文美:収入っていうのは現実世界のことだし、幸福を感じるっていうのは精神面のことだから、別次元の話だと思う。

遥:こういう場合があるのを想定してみてほしいんだけど、こうすればまわりの人が幸せに感じるっていうのが確定してる、でもそれでは収入が得られない、自分は金銭的には損するばっかりだっていう仕事と、他の人が幸せになるかどうかわからない、でも金銭的に安定してるっていう仕事とがあったら、どっちを取りますか?

文美:「幸せ」はわかんない。「この要素が満たされれば絶対幸せになれる」というのはない気もするんですよ。だから自分の仕事が他の人に喜んでもらえるように、何か方法を考える。

令日奈:私は仕事をする意味は「社会に貢献する、できる」ことだと思うから、社会に貢献できて収入が少ない方を選ぶと思います。最終的に社会から認められるのは絶対に貢献している方だと思うので、収入が低いっていう理由でそれを止めたりはしないと思う。

はなみ:収入が安定してる方を取ります。例えば自分が達成感を味わえて、しかもなおかつ社会の役に立つ仕事っていうのは今じゃなくてもできると思う。例えば私の中学時代の先生は定年退職したら、シニアのボランティアになって世界を回ってひとを助けたいって言っていたのですが、自分で先の見通しがついて、もうこれ以上お金持ちにならなくてもいいと思ったなら、その時は社会に貢献できるものを選ぶと思うんですけど。

文美:思ったんですけど、お仕事っていうのは、人が買ったりサービスとかを受けたりするので成り立ってるんだから、一応全部、社会には貢献してると思う。

遥:社会への貢献はみんなしてるっていう部分は確かにあって、全ての人が参加してて社会っていうくくりになると思うんだけど、その中でも度合いというのがあると思う。金銭を受け取ることを目的意識としてやってる人もいる。それは社会っていうシステムの中で確かに存在していて、歯車の一つだけれども、俺はそれにあんまり魅力を感じない。やっぱりそこは価値観の違いになってくるんじゃないかなと最後は思うんですけど。

幸せは勝ち取るもの?

令日奈:みんなが幸せになるのが一番いいと思うのか、それとも幸せっていうのはもう限られていてみんなが幸せになることなんかなくて、そういうのは勝ち取るものなのか、どっちだと思いますか? 多分、収入が高い人がいれば絶対に低い人がいるんだから、収入が多いイコール幸せっていう価値観を持つ人にとっては、幸せっていうのは勝ち取るもので、そういう人たちにとってみんなが幸せになるってことはないと思うんですけど、それについてありますか。

はなみ:やっぱり私もみんなが幸せになれた方がいいと思うんですよ。でも今の社会では実際問題として幸せは勝ち取るものだと思います。

遥:幸せっていうのは勝ち取るものでしかない社会だとしたら、それはちょっと歪んでると思う。自分のことだけ考えてればそれでもいいと思うんだけど、例えば、自分のおじいちゃん、おばあちゃんがいるとして、もう仕事はできず家にいることしかできないとしたら、飯代とかかかるし、お金とか減っていくだけでしょ。そういうことに対しておじいちゃん、おばあちゃんが自分が生きてて申し訳ないとか思ったら、それは最悪だと僕は思う。自分が死んでいく時にもこうやって生きてきてよかったって、最後まで幸せにつつまれて死んでいきたいと思うし、だから幸せっていうのを勝ち取るのが今の社会だとしたら、それに迎合するんじゃなくて、僕はみんなで幸せを分け合う社会に自分らの世代で変えていきたいと思う。だから僕はみんな幸せっていう方の意識でいます。

令日奈:私は結論から言えば、今の状況だと幸せは勝ち取るものかなと思っています。自分が思う幸せに向かって、小さな時から努力してる人はたくさんいるじゃないですか。例えばいい仕事に就くために遊ぶこともしないで、いい大学に行くために勉強してるとか。そういう人は何かしら我慢をして、将来幸せになったり、自分を磨くために他の人よりも努力しているのであって、そういう努力をしないで何でもいいやと思ってる人は、もうそれを諦めてるんだからしょうがないかなと思います。ただ、アフリカの難民とかは別問題で、私がもし助けられたら助けたいなと思うのは、その人たちはそのために努力する術がないっていうか、幸せになりたいと思ってもなれる状況じゃない。だけど恵まれた状況にあるのに、ただなまけてもういいと思ってる人が、みんな幸せになることっていうのはないと思います。

文美:私は、例えばこういう状況だったら幸せだろうっていう条件とかはあんまりないと思うから、幸せは勝ち取るとかそういうんじゃなくて、ポコポコ心の中で生まれてくるものじゃないのかなと思います。

今の幸せと将来の幸せ、どっちをとる?

令日奈:今の幸せを大事にしますか?それとも長い目で見て最後にああよかったなと思える幸せ、どっちを取りますか?

遥:7:3で長い目で見る方。今の幸せっていうのを感じられないと、今を生きていくのはつらいと思うんですけど、でも今の幸せを積み重ねて生きていっても、どっかで破綻すると思うから、やっぱり自分の将来のことを見据えるっていうのはしつつ、今の幸せも最低限得ていけたらいいんじゃないかなと思ってます。

はなみ:私も長い目で見た幸せの方を選びます。今楽しくて幸せっていうのは結局長続きしないと思う。日本だと人生はまあ80年ぐらいあるけど、今16才で幸せっていっても、80才の時に幸せじゃないと自分が生きたって気がしないと思うんです。だから長い目で見た幸せの方がいいなと思います。

文美:私は全く逆で今の幸せです。何でかっていうと、いつ死ぬかわかんないし、将来幸せになる人生攻略法とか全然わかんないから。今のうちに楽しんどいた方がいいと思うし、今楽しまなかったらたぶん将来もあの時つまんなかったなって幸せじゃないと思います。

令日奈:私はやっぱり長い目で見た幸せを選びます。仕事にもよるけど、何事にも絶対に充実してる時とそうじゃない時があると思うから、今が楽しくないとダメなんだとかは思わずに、最終的にはこれでいいんだと思ってればいつも冷静でいられるし、その方が精神的に余裕があるんじゃないかなと思うので、長い目で見た幸せを選びます。

文美:将来自分が幸せになれると思いますか?

遥:わからないけれど、なろうという意識はあるし、なろうと思ってやっていけばなれるもんじゃないかなと思います。そのために生きてるんだと思うし。

はなみ:幸せになるために私たちはこれから努力とかするわけなので、いつか最終的にはたどりつけるのかなと思います。

令日奈:私もはなみちゃんが言ったように、ちゃんと今から努力していけば、幸せになる道はいくらでもあると思います。何かがあってせと思えることじゃないことが起きても、そこまでちゃんと努力してれば、またそれはそれで幸せなことだと思います。

文美:これで、仕事・就職を中心にした幸せについてのラウンドテーブルを終わります。お疲れ様でした。

(終わり)