Newsweek日本版編集長・長岡義博さん
記者:Yua Sato(17歳)
国際情勢に強い関心を抱く高校生として、中国や香港の現実を自分の言葉で理解したいと思ってきた。そこで、中国に留学し現地取材も重ねてきた『ニューズウィーク日本版』編集長・長岡義博氏に話を聞いた。SNSではつかめない“現場の空気”や、世界をどう読み解けばよいのか。また、取材活動をする中でどのようなことを感じたのか。同氏に様々な疑問をぶつけてみた。
ニューズウィーク日本版」とは
国際ニュースを報じる『ニューズウィーク日本版』は、紙媒体に加え、ウェブでの発信にも力を入れている。紙の雑誌は毎号およそ2万5000部を発行し、ウェブサイトは月間3,000万ページビューを誇る。
「英語版の記事を翻訳して掲載するだけでなく、日本人のニーズに応えるために日本オリジナルのトピックも数多く掲載しています。ざっくり言うと半分が英語版からの翻訳、もう半分が日本編集部のオリジナルです。アメリカのライターに依頼することもあれば、日本人記者が書くこともあります。」
誌面をめくると、政治や経済、テクノロジー、社会、文化と幅広いテーマが並ぶ。
「読者にはビジネスパーソンが多いので、政治だけでなく、経済を取り上げることも多い。政治は経済にも絡みますし。どのメディアも同じですが、まず『売れる』ことは重要です。売れないと雑誌として困る。売れそうな特集を選ぶのが基本ですが、同時にメディアとして伝えなければいけないテーマもある。そのバランスを取り、何が売れて、かつ社会的意義があるのかを考えて選んでいます。」
「雑誌は世論の影響も受けます。読者が求めるものを考慮しつつ、それだけではダメ。批判すべきは批判し、認めるべきは認める――そのさじ加減を大事にしています。 2000年代初頭、日本は中国に寛容でしたが、中国が成長し日本を追い越し始めると、日本の大衆感情は悪化しました。焦りや嫉妬も背景にあるでしょう。その感情を理解しつつ、今の中国を正しく伝える努力をしています。」

消えていったリベラル紙
長岡さんは、中国を取材するなかで、現地メディアの変化も間近で見てきたそうだ。2000年代初頭の中国には、政府の問題点を積極的に報じる新聞がいくつも存在したという。広州の「南方週末」や北京の「新京報」などはリベラルな論調で知られていたそうだ。しかし、2012年に習近平政権が発足すると状況は一変する。批判的な報道は強く制限され、メディアへの締め付けは年々厳しくなった。「私がいた頃は人気のあった新聞も、次第にやっていけなくなり、辞めていった記者仲間も多い」と長岡さんは話す。中国国内で、情報統制が強まっていく様子は、私たちが日本で感じるものよりもはるかに急で、そして深刻だったらしい。
取材で訪ねた中国での拘束体験
記者は中国に関心があり、いつか現地を自分の目で見たいと考えている。長岡さんは、北京の中国人民大学国際関係学部に留学した後、変わりゆく中国を取材で何度も訪ねている。
「大学で中国語を学んだ後、新聞社で約10年記者をしましたが、『ちゃんと中国をやりたい』と思い退職。2002年から2003年まで2年間留学しました。北京五輪が決まり、中国はさらに発展すると見られていた時期で、その変化を見たいという思いもありました。」
「現職に就いてからは取材で訪れています。2014年にある省の農村経済を取材中、北京の知人の実家に泊まったところを通報され、警察に拘束、6時間半にわたって事情聴取を受けたこともあります。軍事基地が近くにあったらしく、スパイだと思われたのかもしれません。この時はお咎めなしで次の日に解放されたけれど、最近は日本人が突然帰れなくなる事例もありますし、今だったらこうはいかないかもしれません。」
外国人が農村に入ることは、都市とは異なり、今も昔も警戒の対象になる。それでも長岡さんは「農村や農民を理解しないと中国の本質は見えない」という。
2019年には、香港のデモを現地取材した。
「香港の学生たちは、街路のレンガを崩して石にして警察に投げるんですよ。正義を貫くためにそういう手段を選ぶのは正しいのか、街中のものを壊してデモをするーーそれって許されるの?って、現場で見ながらすごく考えさせられました。中国が悪でデモをしている学生は善、っていう単純な話じゃなくて、本当はグレーゾーンがいっぱいあるんだなと強く感じました。」
現場の空気を自分の目で確かめようとする姿勢が強く印象に残っている。
現場を伝えるメディアーー『Newsweek日本版』
さて、今の時代に紙の雑誌を読む重要性はどこにあるのだろうか。長岡さんは、若い世代が紙の雑誌を読まなくなっているのは事実としたうえで、「紙の雑誌に親しみを持ち、存在意義を認める人もまだまだ多い。官公庁や企業でニューズウィークは紙の雑誌としての認知が高い。雑誌メディア全体のためにも出し続ける意義はある」と話す。また、雑誌メディアは一覧性があるのが良い所だと指摘し、「開いて読んで目次を見ることで全体として何が大事なのかが、一目瞭然でわかる形になっている」と語った。
確かにネットには不要な情報も載りやすいが、雑誌は必要な情報が必要な分だけ載っているため、はっきり読みやすいと感じる。スマートフォンのニュースはスクロールやリロードをするとすぐに流れ去ってしまうが、雑誌の記事はページの重さを伴って残る。
私自身、初めて『ニューズウィーク日本版』を手に取ったのは、中学生の時、友人の学校の文化祭で開かれていた古本市だった。表紙には、台湾総統・蔡英文の選挙を特集する見出しが躍っていた。ページをめくると、外国の出来事が不思議と身近に感じられた。

情報とどう向き合うか
長岡さんは、「情報に惑わされるのは、若い人だけではない。すべての世代で起きている共通課題だ」と指摘し、「一歩踏みとどまる勇気を持つ。Xなどでリポストする時、SNSで”いいね!”を押す時、“それ本当なの?”と一瞬疑ってみるのは大事」という。デジタルの発達で個人発信が増え、誤情報や意図的ミスリードも紛れる。「書かれていない裏」を意識することがこれからの時代にますます必要な力になる。
また、ネットの情報にはアルゴリズムによるバイアスがかかることも多い。それらを自分で疑いながら、情報を見極めていくことが非常に重要だ。「情報を見ていくと、自分にとって不愉快な情報に触れることもあるが、それを『栄養」としてしっかり受け入れる姿勢が必要です。」
自分と異なる立場の情報と関わることで、異なる立場を知ることができる。それはネットを見る時だけではなく私たちが社会と関わるうえでも非常に大切なことではないか。これからの社会で生きていく私たちへの力強いメッセージだと感じた。
取材後記: 若い世代から見ると、雑誌や新聞、テレビはどこか古いメディアに見えるかもしれない。けれど、私はむしろ“古いものに触れること”の中にこそ、新しい発見があると感じた。SNSで様々な情報が飛び交う時代に、雑誌や新聞のような紙のメディアは、立ち止まって考えるきっかけをくれる。古いものにあえて触れることで、多角的な視点を受け取り、自分の考えを深めることができる。そして、その中にこそ「新しさ」が宿っているように思う。
新しい時代に古いものを取り入れる――逆行性も時には必要なのではないか。私は今だからこそ「読む」を通し、思考する時間を持ちたいと思った。
自己紹介: はじめまして。現在高校2年生です。政治や社会から文化歴史まで様々なことに興味があります!今は政治体制の研究をしています。







