祈り、畏れ、捧げた。

筆者:邊愛 Pyong Sarang (17)

 2024年2月6日から5月6日まで、大阪の国立国際美術館で開催された特別展「古代メキシコーーマヤ、アステカ、テオティワカン」に行ってきた。実は私(筆者)は古代メキシコ展に行くまで、なんとなく「サボテンの遺跡とかがあるのかな…」なんて、のんきなことを考えていた。古代メキシコについて私が持ち合わせていたのはたかだか教科書の2ページにも満たない薄い知識と、映画「リメンバーミー」や「クレヨンしんちゃん」から得たメキシコの陽気なイメージ(タコス、サンバ、ソンブレロなど)だけだった。

 「祈り、畏れ、捧げた。」ーー古代メキシコ展のキャッチコピーであるこの短い一文は、古代のメキシコ文化を表すのにこれ以上適しているものはないといってもいい。

 メソアメリカの歴史を辿るうえで鍵となる神への信仰。マヤ神話やアステカ神話は知っている人も多いのではないだろうか。古代メキシコ展に展示されている遺跡の大半が神と結びつけられたもので、古代のメキシコで人々がいかに信仰を中心とした生活を送っていたかがよくわかる。そして神への信仰と切っても切り離せない生贄を供えるという行為。人身供養をする理由は、神への感謝や畏れ、願い事など様々だが各地域によって違いがある。どんな神に祈りを捧げるかも地域によって違う。古代メキシコに限らず日本にも存在していたという生贄の文化。そんな儀式がなぜ行われ、生活の一部となっていたのか、古代の人々は命をどう考えていたのか思いを馳せるきっかけとなった。

古代メキシコ展

 古代メキシコ展は東京・福岡・大阪で開催された、アステカ文明、テオティワカン文明、マヤ文明、一部のオルメカ文明等の遺跡を主に展示する展覧会だ。筆者は大阪会場の展示を観覧した。古代メキシコ展では、メキシコ文化省そしてメキシコ国立人類学歴史研究所が厳選した古代メキシコの至宝が約140点展示されている。その中でも、今回の見どころはなんといってもマヤの「赤の女王」。マヤの都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王の妃とされる、赤の女王(レイナ・ロハ)の墓の出土品が稀代の初来日を果たした。
(詳しくは公式サイト:https://mexico2023.exhibit.jp/

 会場に入場した瞬間、いかにも古代っぽい壮大な音楽と、薄暗い照明が織りなす会場の独特な空気感に「すごい!古代メキシコだ!!」と、古代メキシコについてさほど知っているわけではないのに感じてしまった。音声ガイドから流れる上白石萌音さんの説明も大変趣があり、一周見て回るのにずいぶん時間がかかったが、全く時間の経過を感じなかった。

教科書との違い

 会場につくと、本当に日常の些細なものにも神様が結び付けられていて、自分が想像していた古代の生活とかけ離れていることに驚いた。「今のメキシコと昔のメキシコって同一地域なのか?」とまで思ったほどだった。古代のメキシコで生贄文化が盛んなことすら知らなかった。というのも、私が勉強している「世界史探求 詳説世界史」(山川出版社)では、古代メキシコ文化はこう書かれている。

「マヤ文明は四世紀から9世紀に繫栄期を迎え、ピラミッド状の建築物、二十進法による数の表記法、精密な暦法、マヤ文字などを生み出した。アステカ文明も、ピラミッド状の神殿を造営し、絵文字を用いたほか、道路網でメキシコ各地と結ばれた巨大都市や複雑な身分制度を持つ国家を築いた。」( P36 第一章 文明の成立と古代文明の特質)

 教科書には生贄文化についての記述が一切書かれていないのだ。アステカ文明の大きな特徴と言ってもいい生贄文化が、さらっと流されている。古代の野蛮すぎる文化は高校生には刺激が強すぎると思われたのか、健全な成長に悪影響を与えると思われたのかは不明だが、とにかくマヤ・アステカ文明に関する記述はこれで終了しており、テオティワカンに関しては書かれてすらいない。

生贄に関する遺跡たち

ここで、特に印象に残った生贄文化に関する展示についていくつか紹介する。

モザイク石像
テオティワカン文明200~250年

月のピラミッドで12人の生贄と一緒に埋葬墓から出土したモザイク石像。小石や貝殻、黄鉄鉱を木製の人形土台の上に貼り付けて磨いたモザイク石像である。

私にはこの像と日本の埴輪が重なって見えた。そのほかの情報は不明だが、古墳時代に死者の魂を鎮めるために死者と共に納められた日本の埴輪の文化が、古代メキシコにもあったのではないか、いくら生贄文化があたり前に行われていたとしても、誰だって進んで生贄になりたいとは思わないだろう。モザイク石像は、例えば殺された人たちの悲しみを鎮めるために共に埋葬されたのではないか、と思ってしまう。

シペ・トテック神の頭像
アステカ文明1325年~1521年、テンプロ・マヨール出土

シペ・トテックとは「皮を剝がれたわれらが主」という意味で、生贄になった人間の皮をまとう神のことを指す。生贄の生皮を剝ぎ、神官たちがそれを身にまとい数週間踊る儀式があったという。

一言で言うとグロい。皮をはがされる生贄を想像するととてもグロい。「カールおじさんみたい」と一緒に行った友人とキャッキャとはしゃいで写真を撮ったあとでこの説明が目に入り、一気に気持ちが沈んだ。

左:テクパトル(儀式用ナイフ) アステカ文明1502~20年、テンプロ・マヨール、埋納石室出土
右:歯状ナイフ アステカ文明 1469年~81年、テンプロ・マヨール、埋納石室出土

かわいらしい見た目をしているが、実は生贄用のチャート型ナイフである。黒曜石などで目や歯を表し、擬人化されたものがみられる。生贄が供えられた前後に殺される場合、その殺され方は様々だが、現代のように苦しまないように安楽死を、とはならないのではないか。古代の技術ではできなかったのではないかと推測する。そう考えると、こんなにかわいい刃物も恐ろしいものに思える。

おわりに

 この古代メキシコ展を通して、命について考えた。

 残酷な儀式を行い、神様のために数え切れない数の人々を、現代人の筆者から見たら”殺めた”古代の人間達にとって、命はお粗末なものだったのだろうか。いや、きっと違う。命を神にささげることは、神への最大のプレゼントだったといわれている。生贄として死ぬことが美化されていた古代であっても、命はきっと大切なものだった。大好きな推しのためなら自分の大切なお金を積むことができたり、願いが叶いますようにと神社でお賽銭を納めたりするのと同じ感覚で、昔の人々は大事な命を捧げたのではないかと私は思う。


取材後記: 私の通う学校はキリスト教系で、毎朝欠かさず礼拝堂で礼拝をする。生贄文化がなくなっても、神は意外と私たちの傍にいると思う。自分では無宗教だと思っていても、知らぬ間に神への信仰は私たちの生活に溶け込んでいるのかもしれない。

自己紹介:「教科書のなんてことのない一行に、たくさんの人の血が流れている」という言葉が好きです。例えば「1582年に本能寺の変が起こった」という一文。このたった一文のなかで、どれだけ多くの人が犠牲になったでしょうか。古代メキシコ展を見て回り、この言葉の意味を一層強く感じるようになりました。