出席者:本土遼(13)、秋津文美(15)、今井春衣(16)、三崎令日奈(16)、中島千尋(17)
司会:前田海嘉(18)
イラク戦争の出口が見えていなかった3月の末に中高生記者が、 そもそも戦争とは何か、平和とは何かについて考え、討論を行った。心情的には皆、戦争に反対の思いを抱きつつ、感情論だけでは戦争は無くせないとする。話は戦争や人間の本質、日米関係、平和とは何かに及び、平和の実現に向けて自分達のすべきことは、まずきちんと考えること、そしてその考えを表明していくことだという。 |
戦争はしてもいいものなのか?
海嘉:今日は「戦争と平和」というテーマでラウンドテーブル(RT:座談会)をします。まず、イラク戦争を絡めながら、一般的に戦争というものと平和とに対する意見や考えを言ってください。
春衣:正直言って私は実際に戦争を体験したこともないし、人が死んでる姿を目の当たりにしたこともないので、何とも言えないというのが現実です。嫌なことだというふうには言えるし、いろんな立場の意見があり、それで利益を得る人もいるけれど、自分が反対であっても、反対とか賛成とか言える立場にないと思っています。
令日奈:私は基本的に戦争には反対です。独裁者をねらうとか色んな事情があっても、戦争ではいつも犠牲が出るものだし、戦争で物事を片づけようという考えにはすごく反対です。
千尋:戦争といっても様々な形があると思います。今回のイラク戦争みたいな戦争もそうだし、冷戦も一つの戦争の形だと思う。戦争になると、人を殺すことは当たり前のことになってしまうけれど、基本的には個人が起こす犯罪と同じ犯罪なんじゃないかなって思います。
海嘉:じゃ、戦争には反対ですか?
千尋:人を殺すのはよくないと考えている人だったら、戦争も反対と捉えるべきだと思う。
遼:戦争に反対か賛成かというと、どちらでもありません。戦争というのは歴史には無くてはならないものだと思います。戦争が無かったら、今のような生活はできていないと思う。戦争によって色々な文化や技術が発達するというのは、大切というのは変だけど、すごく重要なことだと思います。
文美:現実に戦争があるということは、それをいいと肯定してるわけではないけれど、やっている人もいるということです。そこらへんがよくわからないけれど、嫌なことだなと思います。
イラク戦争をどうとらえるか?
海嘉:いま、事情、犠牲とか利益という言葉が出ました。人が死ぬという事実だけで、それが悪いことという考え方もあるし、遼くんが言ったように、誰かが利益を得られるのであれば、何かのためであれば戦争はいいことという考え方もありました。では、今回のイラク戦争をみなさんはどう捉えていますか?
千尋:今回、戦争という形でやることについては反対だけれど、日本はアメリカに反対するべきではないと思っています。日本は、自衛隊は持っているけど軍隊は持っていなくて、丸腰じゃないですか。北朝鮮がテポドンやノドンを持っていて、それが混乱に乗じて飛んできたら、日本は迎撃ミサイルも持っていないのでほんとにやられちゃうしかない。となれば、アメリカに守られるしかないじゃないですか。私は軍隊を持っていない日本はすごく理想的でいい国だと思うけれど、それって誰かに守ってもらわなきゃいけないということでもあると思うんです。だから戦争自体には反対だけど、アメリカに反対すべきではないというのがイラク戦争に対する私の意見です。
海嘉:それは日本が政府としてということ?
千尋:日本の立場として。
遼:イラク戦争については僕は賛成です。やられる前にやるとか、基本的に自分の身は自分で守るみたいな、アメリカのフロンティア精神的なものはかなり重要だと思います。父が言っていたんですけど、アメリカの子供に戦争が起きるかと聞いたら、みんな起きると言い、日本の子供に聞くとみんな起きないとか平和だと言っているらしいんですよ。僕は戦争が起きないということはまずあり得ないと思うし、自分の身は自分で守るという精神があるからこそ、平和が来るのではないかと思います。
文美:前にチルドレンズ・エクスプレスで戦争についてのアンケートを取った時、日本の子供は戦争に関して関心が無いわけではないけれど、危機感がすごく薄いという結果が出ました。それは平和であってほしい、戦争は無くしてほしいという願いがそれだけ強いからで、アメリカの子供が戦争はあるものだと言うのは、自分のところが起こすからかなって、ちょっと思います。さっき戦争に対する意見で、利益があればいいという意見が出ましたが、私は戦争は利益は生まないと思います。お金が一時的に豊かになっても、憎しみとかが残ってしまうし、勝った国にも痛手が出ると思います。
海嘉:戦争に利益は無いと言ってたけれど、アメリカがイラクを攻撃してイラクを手中に収めることで石油が手に入るとか、いいか悪いかは別として、イラクの人を自由にすると言われていますが、それは利益とは考えられませんか?
文美:イラクの人も、アメリカの人も、イギリスの人も亡くなるし、自然も破壊されるし、立て直すお金も考えると、果たして利益と言えるのかな?
春衣:今回のイラク戦争では、史上まれに見る反戦運動が世界中で起きています。アメリカでさえも、ベトナム戦争以来の反戦運動が起こったり、イギリスでは歴史上初の大規模な反戦デモが市民によって行われてたにもかかわらず、戦争は泥沼化している。私は最初は反戦という立場にいたけれども、正直言って、結局、世の中というのは弱肉強食で強い人ほど権力を握って物事を動かしていく。市民は抗議するしかないというか、その無力さとむなしさをものすごく感じました。
令日奈:さっき戦争には反対と言ったんですけど、イラクはいま政権的にもすごく独裁的な感じで、人種によって虐待されたり殺されたり、政府に反対する人が公開処刑にあったりしていますが、そういうことはあってはいけないと思います。私は戦争には反対だけど、今のイラクをとめるには戦争しかないというアメリカの意見には賛成です。今は早くこの戦争でイラクが普通の国みたいになってほしいし、今までイラクで苦しんできた人も普通に暮らせるようになってほしい。自由になったら中東のもっと大きな国になる道は開けると思う。でも、アメリカが今回は軍事的な目的でしか戦争はしないで、できるだけ一般市民を殺さないようにしていると言っているのは、言葉だけだと思う。
イラク戦争で日本のすべきことは何?
海嘉:私たちはイラクの人じゃないし、自由になりたいと思ってるかどうかもわからないし、アメリカが本当はどうしたいのかもわからない。日本政府が自衛隊を送るとか援助物資を送るとかの対応を検討していますが、それについて日本人の学生として、何か思うことはありますか?
令日奈:日本が救援物資送ったりしてることは、被害にあっているイラクの人にもすごくいいことだと思う。戦争に参加できないし、したくない側としてはすごくいいことをしてる。救援物資は送っても市民の間で取り合いになって、結局食べられなかったりする人がいるのが現実なので、救援物資を送るとか、自衛隊を送るという日本ができることを真剣に考えて、もっと徹底した方がいいと思います。自分は参戦してないから形だけ送っていればいいんだろうみたいな感じではダメです。
海嘉:じゃ、戦争の攻撃自体にはもちろん参加はしないでもっと援助すべきと考えますか?
令日奈:そう思います。
千尋:さっき私はアメリカには反対するべきでないって言ったけれど、反対してアメリカの機嫌を損ねたら日本は守ってもらえなくなる。でも、日本政府の対応としては、イラクにもそうだけど、アメリカに対して意見を言うのもいいと思うけど、どうかな?
遼:日本は、アメリカに対等な立場で話すと言っていたと思うんですけど、日本は敗戦国だから、現状ではアメリカについていくしかないのかなとか思う。
海嘉:いまは日本の方が弱いから仕方ない、ということですか?
令日奈:日本は敗戦後ここまで発展して、テクノロジーに関しては世界一くらいになったのだから、戦争に負けても立ち上がれた国として、言える意見とか与えられるアドバイスっていうのは、アメリカに対してたくさんあると思う。
春衣:経済的な部分では日本はとても発展して豊かな国になり尊敬されてもいいと思うけど、政治的な部分ではたぶん日本はアメリカの属国で言いなりだと思うし、アメリカに対して意見を言えるわけじゃないと思う。そうじゃないと自分たちの平和が保たれないという現実があって、ある意味、植民地的な意識でアメリカ人は日本人のこと思っていると思う。沖縄は国土の7割・8割がアメリカの軍事基地になっているし、アメリカにしてみれば日本というのは中東を攻めたり、アジア、朝鮮なんかを監視する上ではとても大切な国である一方、日本もアメリカの傘の下で生きていけば自分たちは安全だというのが必ずあるから、どっちにも利益がある。北朝鮮があんなに危険な状態にあって、日本をいつ攻めてくるかわからないのだから、私も千尋ちゃんと同じでアメリカには反発すべきじゃないと思います。
海嘉:北朝鮮という国が無くて、近くに危機が無いとしたら、アメリカに守ってもらう必要のあるなしは別として、日本は別の行動を取るべきだと思いますか? 反戦を唱えるべきなのかな?
千尋:日本は軍隊を持ってないけれど、世界には軍隊を持って兵器を持っている国がいっぱいあって、いつ争いが起きてもおかしくない。今回イラク戦争が起きなかったとしても、何がどこで起きてもおかしくなくて、いつ火の粉が飛んでくるかもわからない。そういう世界で、軍隊を持っていない日本が守ってもらえるとしたらアメリカにだけだと思うから、北朝鮮が無くなったら反対できるんじゃないかとは簡単には言いきれない気がします。
平和ってなんだろう?
海嘉:視点を「平和」という方にずらしてみたいと思うのですが、その視点から何か考えたことや、イラク戦争が始まる前から思っていることなどはありますか?
千尋:太平洋戦争の本を読んだり学校の授業を受けて思うのは、明日の朝生きているか死んでいるかわからないという不安に襲われることがない、とりあえず明日の保証はある、明日の予定、例えば明日友だちとどっか行こうねとか、あさってまでに予習して来なさいねとか、未来への約束が普通にできる状態が平和の象徴なのかなと思います。ほんとに今日限りの命かもしれないのだったら、明日遊ぼうねとか軽々しく口にできない。
春衣:戦争には利益もあるしいいところもあるし、悪いところもあると思います。平和というのはある意味、人をすごく鈍くさせると思うのです。私たちはすごく平和な世の中にいて生活しているわけだけど、例えば何かが自分の身に迫ってきた時にそれに対処できる力、能力を持っているかといったら、絶対持っていない。人間的な部分、人間の動物的な部分がだんだん無くなっていっているんじゃないかな、と思うところがあります。この間『戦場のピアニスト』という映画を見たんですけど、あの映画の主人公は、とにかく自分が生きたいがために、ものすごく必死で逃げるわけね、戦争から、敵から。ひとりになっても、孤独になっても、食べ物も水も無くなっても生きたいと思って逃げ回る。そういうことでやっぱり人間の本質的な部分がかいま見える。私はそれを見て、やっぱり戦争はいけないことだと思いました。でも人を強くするという意味では、日本だって戦争があったからこそ、復興しよう、発展させようっていうパワーが湧いて経済がグーンって伸びてったわけでしょう? 反動というか、矛盾というのが、いっぱいあるかもしれないけど、やっぱり戦争があって平和がある。戦争しているから平和が素晴らしいということを人は学ぶわけだし。でも平和というのは必ずしもいい結果を生まない。日本の相撲界にしても、いま横綱はモンゴル人で日本人じゃないわけでしょ。やっぱりハングリーとか、勝ち上ろうというパワーというのがどこか無くなってる部分があるんじゃないかなと思う。それがいいか悪いかというとまた別問題だけど、平和によって人間的なものを失うこともあるんじゃないかなと思います。
海嘉:戦争と比べたときに「平和」が初めて出てくるのかな。学校で戦争のことを習うと、平和を求めるようになっていくっていうことでしょうか? 文美ちゃんはイラクの人たちは生きよう、生きようとしてるのに、日本の国の人たちはそういうこと考えないで自殺したりしているということを前に書いていたけど、そのへんどんな風に考えますか?
文美:なんか、(日本人は)ヒマなのかなという気がします。やっぱり平和は人を鈍くさせるし、麻痺させる。死に対しての感覚が麻痺してしまうのかなという気もします。
海嘉:平和というのはどういうもの? 具体的にこういうものだと言える人はいますか?
千尋:平和というのは人間の文化的な部分をすごく育てるものだと思います。ハングリーな部分というか、本能的な生きようとする欲求とか強さとか、そういうものが戦争によって養われていくのだとしたら、平和が育てるのは文化的なもの、ある意味で人間らしさ、人間しか持ってない、例えば文学だったりするように思います。世界史をやっているとそういう例がいくつもあるように思います。戦争続きだった時代のなかで、平和は文化的な部分をすごく育てると思うんですね。たぶん本能的な部分もすごく人間らしさで大切だけど、人間だからこそ持っている文化的な部分こそが人間を人間たらしめていると思う。
世界平和は実現可能か?
海嘉:文化的なところが伸びていくのが平和、戦争が無くなった状態が平和など、様々な意見がありましたが、国連などが目標に掲げれば、平和、世界平和というのはこの先あり得ると思いますか?
令日奈:今はあり得ないかもしれないけど、これからの世界の情勢で、将来的にあり得ることだと思います。自分と違うものは撲滅させなきゃ気がすまないというのは、人間の弱いところであると思うけど、戦争を重ねて、人間がいろんなことを学んで、平和についてすごく考える人が出てきて、それでまた学ぶこともある。将来的に人間が今までの弱さを克服して、相手の違いを認められるようになれば、戦争が無い時代というのは絶対にやってくると思います。
遼:僕は人間がいる限り平和というのはあり得ないと思います。僕は、日本はいま本当に平和なのかなって疑問に思っています。日本には失業者とかいっぱいいるじゃないですか。その人に平和ですかって聞いても、それは絶対に平和じゃないっていうと思うんですよ。平和は豊かなもの、満ち足りてることだと思うんですよ。アジア、アフリカの国では、まだ全然豊かじゃない国があると思うんですよ。自分の国を豊かにするために戦争が起きるわけで、ちょっとでも満足したいというか、人間の汚い気持ちがある限り平和は訪れないと思う。
海嘉:遼くんのいう平和は戦争が無くなっただけじゃ得られない、というものですか?遼くんの考える平和は、希望的なものでも構わないけど、どんなものですか?
遼:戦争は戦争であって、戦争が無くなったからって平和というものはないと思います。僕が考える平和は、国とかじゃなくて、個人単位のものだと思うんです。
千尋:満ち足りた国と足りてない国の違いってあると思うんですけど、私は戦争は全部、違いが存在して、その違いをどうにかして無くしたいと思って起こるんだと思うんですよ。だから、二つの点から、世界中が平和になることは多分無いと思っています。一つは今までの長い時間、戦争が無かった時代というのが無い。また同じ時間以上かけても無くなるっていう保証は無いんじゃないか、ということ。二つ目は、生きている以上絶対に違いが生まれて、一人一人が違うのが当たり前なように、人種だとか、発展してる国としてない国だとかという違いが確かに存在していて、それゆえに起こってしまう争いが、無くならないというのも仕方がないことなのかなと思うんですよ。
海嘉:どうですか?ほかの人は。平和というのは訪れると思いますか?
文美:まず戦争で儲けるという仕組みがある限り、戦争を無くしたいなと全員が思うわけじゃないと思うし、違いっていうのもある。人と違うことに幸せを感じる人もいると思うし。たった一人で爆弾を落とせて、それで何万人も殺せるわけだから、もし一人がそういうふうに思ったら、平和じゃないと思う。人には殺したくなる衝動のある人もいるから、平和は来ないのかなと思いました。
平和のための第一歩はきちんとした考えを表明すること
海嘉:例えばいま反戦のデモをしてる人というのが世界中にいるけれども、それは必要なことだと思いますか? それとも意味がないものでしょうか? もっと話し合いが必要だとか、平和の達成と、達成に近づくためにしていかなくてはならないことについて、最後に聞きたいと思います。
千尋:今回の反戦運動については、感情論に走っている人ばかりで、見ていてすごく嫌な気持ちになります。私も人が死ぬ戦争はいいものだと思っていないけれど、人が死んじゃうから嫌だとか、ケガをする人がいるからやるべきではないわよね、って言っても、それだけじゃ実際に戦争は無くなるわけがないと思うのです。違いを埋めようとするために争いが起こるんだとしたら、理論的にそっちの方を考えるべきです。ほんとうに戦争を止めたいと思っているなら、感情論はまずうっちゃって、現実問題をひとつひとつ片づけるべきだと思う。今回だったら、フランスがアメリカに反対して戦争反対になったのは、フランスがフセインと直かに原油の契約を結んでいるからでしょ。それも知らずに日本もフランスみたいにすべきだと言うべきじゃないし、ひとりひとりが現実的に物事を見つめて対処していかないと。だから反戦デモをやるのもいいけど、そういう問題を考えてからやってくださいと私は思う。
春衣:政治家たる人は現実問題を、千尋ちゃんが言ったみたいに見るべきだと思うの。それはやっぱり国を守らなくちゃいけない義務を持っているし、私たちは政治家にはそれを望まなくちゃいけないと思う。でも、私たちが現実問題を直視したからといって、じゃ何ができるかって聞きたい。反戦デモに参加するとか、人間の盾でイラクに行くとかということは、私にとって戦争に反対する方法ではなかったけど、現実を直視したからといって、結局、何もできない自分がいた。いま千尋ちゃんが言ったみたいに確かに現実をふまえた上で考えるのはいいけど、だからと言って答えは見つかるもんじゃないと思いました。
千尋:まず大人だったら選挙に行くべきです。なぜなら、日本は選挙によって政治家を選べるシステムが存在してる。そういう考え方を持っている政治家に投票しに行くべきでしょう? 私たち子供は選挙権を持っていないからそれができないじゃないかと言うんだったら、メールを送るなり、何かに投稿してみたりして、自分の考えを表明すればいい。理論的に考えてる、現実問題を見つめてるよという意見を出す人がいれば、私はそれでいいと思うの。それで、大人になったら選挙に行く。
海嘉:それぞれ共通点としては、ひとりひとりがよく考えるというか、ちゃんと…。
千尋:考えたことを何らかの形でちょっと表明してみる。
春衣:それが今回の反戦デモというのにつながっているんじゃないの?
文美:デモという形で表明している。
千尋:うん、でもなんかそれが感情的なものに走りすぎてる。表現の仕方を変えればいいのかもしれない。反戦を叫ぶ時に可哀そうだから止めろというのではなくて、日本政府はこういう対応よりこういう対応を取るべきという感じの、現実問題に直結したようなもの。
文美:感情的になっていると言ってるけれど、私は平和が生まれるのは、感情面に訴えるしかないんじゃないのかなという気もしています。だって理屈で言ったら、戦争ってすごいお金になるし、得にもなるから。そんなことをしたらいけないんだみたいに、誰もが考えないといけないんじゃないのかなって思います。
遼:世界で反戦デモをやっていますが、僕の考えではそれは意味がないことだと思います。たぶん平和を求めてやっていると思うんですけど、アメリカが世論で戦争を止めたとしても、今度イラクがまた調子づいて、クウェートとかに反撃や報復をしたりしたら、まったく意味のないことだと思うのです。いま反戦運動をしてる人たちは、僕からみると、反米運動みたいな感じに見える。
海嘉:じゃあ、デモじゃないやり方だとしたら、平和を求めて何をしたらいいと思いますか?
遼:募金のひとつでもした方が…(笑)
令日奈:今回のイラク戦争に関して平和のためにできることと言ったら、やっぱり救援物資を送って、次に、戦争が終わった後のイラクのためになることをすることだと思います。具体的には、NPOのような団体を通して送ることなら一般の人でも出来ると思う。人間の弱いところは、自分と違う人を許せないという、自分と違う種類の人間を差別したり虐待したりするようなところにあると思うんです。デモができるというのはその国が自由なことの象徴で、いま出来るということは、それだけ個人の発言の自由があるということ。デモによって意思表示をしている人がいるというのは、すごくいいことだと思う。もし北朝鮮みたいに、政府に反対するとすぐ処刑みたいなところだったら、デモなんかできない。でも、ここにきてデモをやるというのに私は疑問を感じます。というのは、今回のデモは見ている限り、プラカードに書いてあることも感情的だし、国旗を燃やすといった行為は平和的じゃない。国旗を燃やしてる限り、相手を認めていないということで、平和のためにやっている筈が、平和とは言えないと思う。デモをしている人たちは、相手のことも考えて、それでも反対という感じにしないと説得力がないし、やっぱりデモをしたからって戦争の抑止にはつながらないんじゃないかなと思います。
海嘉:ではこれで今日のラウンドテーブル(RT)を終わりたいと思います。