大阪公立大学大学院理学研究科 特任教授 幸田正典先生に聞く
記者:邊愛 Pyong Sarang (16)
魚を生きたまま食す「踊り食い」。これは魚が知性を持たない生き物であるという昔ながらの一般的な考え方から生まれた食文化の一つである。しかし、もし魚が知性や痛覚を持ち合わせていたら?ーー魚の鏡像自己認知*を研究する幸田先生は警鐘を鳴らす。魚も私たち人間と同じように、鏡に映る自分が自分であると認識できる。誰もが耳を疑うような魚の鏡像自己認知を世界で初めて実証した、大阪公立大学大学院理学研究科の特任教授である幸田正典先生にお話を伺った。
*鏡像(自己)認知: 鏡像認知とは、個体が鏡に映った像を自己のものだと認識することである。(引用 Wikipedia)
[INDEX] 動物に夢中だった幼少期 辿ってきた軌跡 研究者を志す者たちへ 「その常識、大阪公立大がひっくり返します!」
「タコの踊り食いとかね、今まで動物をぞんざいに扱ってきた分、動物に対する扱いを丁寧にしなくてはいけなくなるしょうね」
動物に知性などない、ましてや魚に感情や痛覚などあるはずがない。今この記事を読んでいる皆さんも、一度はこう考えたことがあるのではないだろうか。古くから、脳の小さい魚類は脊椎動物を賢さで順番づけていくと最底辺に位置する、つまり基本的に本能に従って行動(学習はできてもごく簡単なもの)するとされてきた。
「魚の脳は人間と比べると確かに小さいけれど、基本的な脳のパーツは全部揃っているんです。記憶を保管する海馬とか、痛みを認識する器官も全部あります。つまり、構造は同じなんです。」「魚を食べようと思ったら殺すしかないんですけど、痛みとか苦しみ、精神的なものも含めて、あまり負荷をかけないようにする。調理方法なんかも当然、もっと魚を尊重してあげないといけない。」魚の鏡像自己認知を研究する意義の一つは、このようなところにあるのだという。
動物に夢中だった幼少期
子供の頃から動物に興味があったという幸田先生。小学四年生で読んだバージニア・リー・バートンの絵本「せいめいのれきし(岩波書店)」に影響を受け、生物の進化に興味を持つようになったという。そして、釣り好きの父に連れられて行った魚釣りや、小学校付近の田んぼや山、川に生き物を取りに出掛けた思い出を私に話してくれた。そのような自然と触れあった経験が積み重なり、今の幸田先生につながったのだろう。
辿ってきた軌跡
大学で動物行動学を学び、魚類の攻撃行動の研究を行ったのち、ヒトや霊長類の行動を研究するべく京都大学霊長類研究所で修士課程を過ごした幸田先生。アフリカのタンガニーカ湖で進化したシクリッド科魚類を見るために、所属を移して動物生態学研究室の院生になり、シクリッド科の魚類たちとダイビングで泳ぐ日々を送ったという。その研究室の川那部浩哉教授(当時)に大変お世話になったのだという幸田先生。そののち大阪市立大学の動物社会学研究室の助手として、熱帯魚の行動生態学や動物社会学の研究に取り組むなかで、魚の賢さを目の当たりにして本格的に魚の研究に取り組むようになった。50歳で患った病気のために潜水調査ができなくなったことをきっかけに水槽飼育を始め、今の研究のスタイルを確立していった。
続けて幸田先生は喜色満面の笑顔で語る。「魚も縄張りを持っていて、それでいてお互いお隣さんをちゃんとわかってるんよ。信じられへんでしょ。どうやってわかってるんか調べたらね、顔で認識していることが観察でわかったんです。これは今から10年前くらいの話で、当時はもう世界中誰もそんなことは思ってない。あの時は本当に嬉しかったね」、「教科書に書いてあることとかね、常識だけで考えていたら、常識の研究しかできない。大事なことは、自分で色々なことを見て、自分がこうだと思うことは徹底的に考える。これが大事やったね。」
研究者を志す者たちへ
幸田先生は著書の中で、面白い研究の鉄則として以下の三点を挙げている。「自分の専門の教科書はきちんと勉強しておくこと」、「自分の観察結果が既存の常識や知識と相違していたとしても、それでも間違いないと思うのであれば、自分の研究結果を信じること」、「自分が不思議だと思うことや気になることは、いくつでも、いつまでも考え続けること」。この三つの鉄則は、日本でも数少ない動物心理学研究者でありながら、魚の研究の最前線を走ってきた幸田先生の生き方を表したものともいえるだろう。
インタビューで、研究者を志すうえで最も大切なことは「自分で疑問を抱く能力」だと幸田先生は語る。「与えられたもんで遊ぶ。与えられたもんで勉強する。これはね、研究の頭には向いてない。研究するっていうのはね、自分で問題が何かを見つけてくる能力なんですよね。」研究を始める最初の一歩であり、極めて重要なポイントとなる「問いを立てる」という行為。それは、与えられた課題をただひたすらこなす現在の受験システムとは真逆であると幸田先生は考えている。
また、意思疎通のできない生き物を対象に研究を行う際に研究で重要なのは想像力だと、幸田先生。「魚だけではないよ。もし動物の研究をしたいのであれば、やっぱり動物が何を考えているのか見抜ける、動物が好きでなくてもいいけど、動物の気持ちがわかる力が大切だと思います。これがあってようやく意味のある実験ができるんです。動物の行動を研究するにはこれがないと仮説が出せないので実験が組めない。例えば、『魚は寝ていて夢を見てるで、きっと』と仮説を立てる。これはどういうことかな、と考える。きっとね、これが大事なんですよ。これがないとね、進まないんですよ。」
「その常識、大阪公立大がひっくり返します!」
今後の研究の予定を伺うと、幸田先生は「やることはわかってますよ。おもろいことです。」とニヤリとして、最新研究のあれこれを話してくれた。最近の魚の睡眠に関する研究では、なんとも信じがたい話だが、魚も人間と同じように、記憶を整理するために睡眠をとることができるという。また興味深いことに魚も夢を見るらしく、魚を昼間、長い時間怖い目に合わせると、その魚が夜にうなされている様子を観察できたのだと幸田先生は楽しそうに語る。「魚は言語がないので、言葉なしにものを考える。魚がものを言葉なしに考えるというのが今の大きなテーマです。三年後に論文が出ます。」「それから、魚もね、ちゃんと概念を持って生きてる。魚が概念を持ってるなんて誰も思ってないんですよ。それをね、大阪公立大がひっくり返します。」
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魚にも自分がわかる ――動物認知研究の最先端 (ちくま新書)
魚の自己意識についての常識を覆す動物認知研究の過程から結果、幸田先生がこれまでたどってきた軌跡が一冊にまとめられた「魚にも自分がわかるーー動物認知研究の最先端」。「批判とどう対峙するか」「面白い研究をするための三原則」など、常識を疑い、世界を相手に研究活動を行ってきた幸田先生にしか書けないコラム満載の一冊である。
取材後記: 取材のあと、幸田先生が研究している魚のいる部屋に案内してもらったのですが、部屋一面が水槽で埋め尽くされていて思わず圧倒されました。水槽の魚は小さくて色鮮やかな種類が多い印象で、研究する際に使う大きなカメラが部屋の中央にありワクワクしました。無知な私にも優しく接してくださった幸田先生、本当にありがとうございました。
自己紹介: 昔から魚の気持ちに興味があり、水族館に行くことがとても好きでした。水槽を眺めてみては、狭い水槽に入れられて魚は窮屈ではないのだろうか、魚は水槽をのぞき込む人間の姿をどう捉えているのだろうかと、疑問が尽きない日々でした。そうして臨んだインタビューでは、もちろんお話はどれも面白かったのですが、幸田先生が魚を人間と同じ目線で見ていらっしゃったのが一番印象的でした。幸田先生と比べると私の魚への愛もまだまだだな(笑)、と感じました。