Enter the E株式会社代表のエシカルファッションに目覚めたきっかけ

記者:神戸萌々花 Momoka Kambe(20)

「日本はエシカル消費のリーダーになれる」とEnter the E株式会社 代表取締役社長の植月友美さんは語ってくれた。彼女に起業のきっかけ、日本のサステナブルファッションについて、また学生はどうしたらサステナブルファッションを楽しめるかの取材を行った。

海外で自分探し

記者:留学されていたそうですね。きっかけは何でしたか?

植月さん:
高校卒業後、大学へ行って就職をする、という一般的なコースが、自分の中でイメージが全然湧かなかったんです。実家は服飾関係の自営業だったので、いつか自分も商売をやるんだろうな、早く働きたいなと思っていました。そこで、バイヤーを含めいろんな仕事を経験しました。ファッション業界は、どうやってトレンドが作られて、どういうふうに一般の人に広まるのか、洋服にまつわる工程を早く学びたかった。自問自答のうちに「自分はグローバルビジネスに興味があり、好きなブランドは海外ばかりだ」と気づき「海外に行くしかない」と。

記者:留学はどこに行かれましたか?

植月さん:
ニューヨークが先で、次にトロント。そしてまたニューヨーク。それには理由があって、ニューヨークはすごく物価が高かったんです。行きたい学校はニューヨークでしたが、トロントでファッションの勉強を2年間しました。

Enter the Eの設立

記者:読者に向けて、会社のことを教えてください。

植月さん:
起業まで、苦節12年です。大好きな洋服が児童労働や誰かの犠牲の上で成り立っているかもしれない、そんな状況をどうしたら断ち切れるのかと考えてきました。人と地球が洋服を楽しむ、そういう社会の両立を目指したい。これが私のビジョンであり、会社の目指す姿です。とはいえ、道のりは大変でした。人と地球のためのファッションについて、たくさんの人にプレゼンしました。でも、当時はエシカルファションという言葉が”響く”時代ではなかった。SDGsという言葉もない時代でした。グリーンファッションと言い換えたり、エコファッションと言ってみたり、努力しても融資が全然もらえない。仲間も増えない。どんどん行き詰まっていきました。

Enter the E代表の植月さん

記者:それでも続けられたのはどうしてですか?

植月さん:
何年か経った時にグラミン銀行*のムハマド・ユヌスさんが日本でお話される機会があって、友達に誘われて聞きに行ったんです。彼が言うには、「人ってどんな環境でも社会を変えられる社会企業家になれるんだ」と。そこから、またチャレンジです。

グラミン銀行*・・・バングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌス博士が1983年に設立した主に土地を所有しない貧困層向けの小規模融資(マイクロ・ファイナンス)機関。

記者:最初に取り組まれた事業はなんですか?

植月さん:
最初は、オーガニックコットンをみんなで育て、みんなでそれを着る社会を構築するという事業を始めました。しかし、事業についての具体的な計画がなく、お客さんは単純に服を手に入れて自分で着る瞬間に喜びを感じるものだろうと思っていました。実はこの計画だと年間2枚しか服を生産できなかったんです。それでは、たくさんの人に届けられないですよね。今はこの事業ににこだわる時期ではなく、土台を築くことが必要であると感じました。誰かに迷惑をかけない服、みんなに優しい服を提供するブランドの土台をまず築くことが重要だと考えました。

記者:そこから、Enter the Eを始めた?

植月さん:
はい、そこで急にスイッチが入り、1ヶ月ほどで起業プランを作りました。今までの経験がすべて結びついた瞬間です。ユーザーインタビューも行い、エシカルファションというと、高価だったり、ナチュラルすぎたり、民族的すぎるという声をユーザーから得て、1つのブランドではなく、さまざまなブランドと契約を結んでいきました。ちょうど北欧や欧米でエシカルファッションが大きく進化し、認証付き(例えばGOTS認証)でおしゃれなアイテムが5000円程度で手に入ることがわかりました。そして日本での販売をそういったブランドに提案しました。やっとEnter the Eが誕生しました。

記者:起業して大変だったこと、一番大変だったことはなんですか。

植月さん:
慢性的に大変ですね。大変じゃなかったことの方が少ないです。​​一番大変なのは、全部自分でやらなきゃいけないことです。経営の一方で、洋服のパターンからデザインの設計まで、今は全て自分でこなしています。

記者:顧客層はどのような人々ですか?

植月さん:
コアターゲットは、20代後半から30代前半あたりです。面白いのは、顧客は価値観で集まってきてくれているので、10代から70代ぐらいまでの幅広い層です。男女比は構成でいうと、やはり女性が圧倒的に多い。男性も意識したブランドである「TEN」を最近始めたので、少し男性も増えました。

記者:どのような商品が人気ですか?

植月さん:
ワンピースが圧倒的に人気です。また、エシカルに見えない感じの服が人気です。これからは「TEN」を人気にしたい。「TEN」はお客さんが10年着続けることができるという思いから名付けたブランドです。ベーシックだけれど、ディティールにこだわりがあります。

日本をエシカル大国にしたい

記者:サステナブルファッションへの人々の認知度や意識についてどのようにお考えですか。

植月さん:強い言葉で言っていいか分かりませんが、今はまだ絶望的です。それでも、自分が時代を作ってる、と思いながら解決策を毎日考えてます。いろんな人を巻き込みながら社会を変えていきたいと思っています。

記者:日本では、レジ袋の有料化を積極的に行なっていますが、あまり有効的なことと思えない。実際にレジ袋を買ってる人をスーパーでたくさん見かけます。

植月さん:
人々に対しては、エシカルファッションに対して意識が遅れているというより、これを考えるポテンシャルがあるのに考えていないことに、勿体なさを感じます。食べるときに「いただきます」と言う、物をちょっと大切にしようという気持ちが基本的にある、など日本人の良いところを考えると、日本はエシカル消費のリーダーになれる。モノを大切にする日本人が世界をリードできると思います。私は2030年までに、日本をエシカル大国にしたいと、微力ながら今取り組んでいます。

記者:サステナブルファッションや環境問題に取り組んでいると、周りから「Z世代」「意識高い系」と言われてしまい、やりづらいところがあります。一般の人々が自然とサステナブルファッションに取り組むことは可能だと思いますか?

植月さん:
サステナブルファッションの浸透は禁煙と似ていると思います。禁煙が急に広まったわけではなく、段階的に変化し、分煙となり、吸える場所が限られるようになった。変化はゆっくりですが、気付いたときには人々の意識は変わっているでしょう。明日からサステナブルファッション、ではなく次第にそれが日常になっていくようになると思います。

学生がサステナブルファッションを楽しむには

記者:「TEN」は従来のサステナブルファションに比べて、リーズナブルだと思いますが、収入の少ない学生でもこういった洋服を楽しむには、どうすればいいですか?

植月さん:
うちのアルバイトスタッフの大学生の男の子の話をさせてください。ずっと働いていながら、うちの服を1回も試してなかったんです。でも、何ヶ月か経ったお給料日に、「植月さん、僕これ買っていいですか?」とオーガニックコットンのスウェットを選んだ。初めてオーガニックコットンを着た瞬間、「すごい」と驚いていました。そこで彼の価値観が変わった。気に入って週4で着てくれていました。

「よく考えると、2回しか着てないのに捨ててる服がある。お金がないと自分でバイアスをかけていた。こんなに質が良くて、こんなに気持ちいいものが、選択肢を見直すことで手に入るんですね。」と彼は気がついてくれた。1万5000円位の商品でしたが、毎週着てるからコストパフォーマンスはいい。だから、ファストファッションとは違う世界を一度、まずは体験してほしいです。

ラナプラザ崩壊事故から10年、今後のこと

記者:ラナプラザ崩壊事故*や化学染料などによる作り手の人体への影響は、日本ではあまり大きく取り上げられていません。どうしたら、多くの人々にこの現状を知ってもらえると思いますか?

ラナプラザ崩壊事故とは*:2013年4月24日にバングラデシュで、8階建ての商業ビル「ラナ・プラザ」が崩落した事故。死者1,127人、行方不明者約500人。犠牲者の多くはビル内の縫製工場で働いていた若い女性だった。

植月さん:
戦争を体験していない者が当事者と同じ気持ちになるのが難しいのと同じく、ファッションを取り巻く悲惨な自己や多くの犠牲者に思いを馳せてくれと他人に訴えるのは無理があると思います。私は、解決策が手元にあって、例えば「農薬まみれじゃない洋服があるんだよ」とさりげなく人々に教えていく方法が良いと思います。

記者:例えば、日本には古くからの縫製技術が多くあります。にも関わらず、現在は約98%の衣服が海外から輸入されているそうです。日本でサステナブルな洋服づくりをすることは可能だと思いますか?

植月さん:
おそらく条件さえ揃えば可能でしょう。例えば、日本のデザイナーや職人さんが国内外から評価が得られるような商品が生まれると良いですね。例えば、日本の食品業界は様々な努力により、国内でも海外でも受け入れられるような商品を作って販売しています。食品で言うと、安全費用とか美味しさ費用といった、それによって値段が倍以上になっても国産が選ばれる価値、衣服の場合その価値はなにか。服作りにおいても値段が高くなったとしても選ばれる、クリエイティビティの高さ、環境への配慮、日本の技術など、商品の強みは何なのかを再定義していけばいいと思います。

記者:今後はどのようなことに取り組んでいきたいですか。

植月さん:
2030年までに工場を作りたいです。工場と言っても縫製工場ではなく、カスケードリサイクル*ができる工場です。ほとんどの合成繊維は、リサイクルには適していない。ほとんど車の断熱材か軍手にしかならない。これをきちんと資源として、”服から服へ”を実現したい。100%のコットン、ウールやポリエステルならそれが可能です。

カスケードリサイクル*・・・リサイクルすることによって元の製品には戻らず、品質の低下を伴うリサイクルのこと。

大量生産時代が終わり、適量生産になっても過去の服の製造蓄積は大量です。やはりこれらを資源に変えていかなきゃいけない。ニーズがないものを国外に押し付けたり、リサイクルできないまま放置している状況を変えたい。自分達が製造したものの責任は、きちんと負いたいです。そのために2026年までには、工場設立のプランを立てたいですね。


<記者取材後記>
 高校から、サステナブルファッションを勉強していくうちに、z世代より上の年代の人たちほど環境問題にあまり詳しくないことがわかった。そのため、どの世代の人にもわかりやすい記事を書いてみたいと思った。

 実際にエシカルファッションのセレクトショップを経営している植月さんの話を聞けて、非常に勉強になりました。私は サステナブルファッションの未来は、とても長い道のりだと思っていた。しかし、取材を通して、日本の未来も明るいなと思えるようになった。今回新しく登場したブランド「TEN」は、今までサステナブルファションやエシカルファションに手を出せなかった・出してこなかった人々に、良い機会を与えてくれるだろうと思う。今後の展望で、工場を作るお話もとても魅力的で、植月さんが工場長になっている未来が想像できた。