記者申込時に提出するエッセイですが、上手である必要はありません。
あなたが興味のあること、身近な問題、記者になったら書いてみたいテーマ、あなた自身のこと等、なんでも構いません。
過去の記者、今回提出されたテーマの一部を紹介しますので、参考にしてください。
私は、記者活動を通じて幅広い分野を深く探究し、広い視野を持つことで目先の情報だけで物事を判断せず、自分で考える力を養いたいと考えています。
私は、記者活動を通じて幅広い分野を深く探究し、広い視野を持つことで目先の情報だけで物事を判断せず、自分で考える力を養いたいと考えています。
現代のメディア(新聞やテレビはもちろん、TwitterなどのSNSも含む)では、誤った情報や一極化した情報があふれかえっています。こうした情報を鵜呑みにしてしまえば、誤った情報に気づかずにそれを拡散してしまったり、偏った情報しか見なくなってしまい、思想が偏ってしまう危険性があります。そのような状況に陥らないためには、様々な意見を取り入れ、メディアに対するリテラシーを身につけることが重要だと私は考えます。また、自分自身が持つ意見を大切にし、他人の意見だけで判断しないことで、より良いメディアリテラシーを身につけることができると思います。
アメリカ同時多発テロ”9.11”から8年以上がたった。
当時小学1年生だった私。このときテレビで見たなどの記憶はない。
この事件でアメリカン航空11便が突入したのが世界貿易センタービルだ。
この世界貿易センタービルが再建設されるかの話し合いは滞ったままである。
今、そんな世界貿易センタービルの周りでデモが起こっている。
彼らは、世界貿易センタービルが再建設されないと、仕事が来ないのである。
世界貿易センタービルが再建設されることにより、お金が労働者に渡るのである。
この不況だからこそ、お金を使い労働者を雇い労働者にお金を渡し良い循環が出来るのはいいことだと思う。
しかし、このテロによりビジネスができるのはなんとも悲しい話である。
また、いつしか世界貿易センタービルが普通のビルと化してしまうのだろうか。
最近、ニュースで「集団自殺」という言葉をよく見ます。それは死ぬことを目的にインターネットで知り合い自殺していくということらしい。インターネットはとても便利だけれど、怖い面もある。自殺をするために知り合って何も良いことは無いと思います。私は集団自殺に反対です。自殺者を募集したり死にたがる人はかわいそうな人達で、苦しい事があっても「がんばろう」という気持ちをもてる人は幸せな人達だと思います。一度しかない人生を楽しく明るく過ごすことができたらすばらしいと思います。「自殺」ということは一つしかない命を自分でなくす行為です。私はそんなことを絶対にしたくないし、両親が悲しんだりいろいろな人達に迷惑もかかります。 私の学校はカトリックの学校で、宗教の時間に命の大切さを教えてもらいました。神様はみんなに大切な命を与え、それぞれの人は何か役割を与えられて生きていると聞きました。一人一人何か才能も持っているだろうし、その才能を生かして生きていかなければもったいないと思います。 死んでいく人達は多分これから先の夢を見ることができず、すべてをあきらめて死んでしまうのでしょうか。私はどんなこともあきらめず、頑張れる強い大人になりたいと思います。また、今のように自殺したり死ぬことを募集したりする人がいない明るい人がいっぱいの世界になれるよう皆で何かできたらいいなと思いました 。
こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう
あたりまえであることを。
お父さんがいる。
お母さんがいる。
手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせばなんでもとれる。
音が聞けて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか。
しかし、だれもそれをよろばない。
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事が食べられる。
夜になるとちゃんと眠れ、 そして、また、朝がくる。
空気を胸いっぱいにすえる。
笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走り回れる みんなあたりまえのこと。
こんなすばらしいことを、みんな決して喜ばない。
そのありがたさを知っているのは、 それをなくした人たちだけ。
なぜでしょう。あたりまえ。
これは若い医師がガンを発病し、かぎられた命を知り、家族へ書いた詩です。 私はこの詩を読んだとき、公民の発表授業の事を思い出しました。 地雷で手足を失った人、人身売買、子ども兵士、貧しくて今日を生きるのが精一杯の人。他にも世界には「あたりまえ」のことができない人がたくさんいます。しかし「あたりまえ」が幸せであることに、気づかずに過ごしている人が多いのではないかと思いました。「死にたい」などと普通に言ってしまう人もいます。 私が一番驚いたのは、お年玉の中からユニセフに募金をした時のパンフレットの写真の子ども達の笑顔です。この子達は一日一日を生きていくのが大変なのに、優しい目をしていました。この時、本当に貧しいのは、日本の子ども達かもしれないと思いました。 私は、今の「あたりまえ」に感謝し、世界の状況を取材し、メディアを通して発信していく事によって、「あたりまえ」という無意識を意識に変えていきたいと考えています。今の私たちにできる事は何か? 一人でできる事はかぎられています。しかし、今立ち上がり、世界のいろいろな出来事に関心を持って、私の一番いいと思うやりかたを探し、国際協力との接点を持っていきたいと思います。