原 衣織( 15 )、三崎友衣奈( 15 )、藤原沙来( 17 )、寺尾佳恵( 18 )
2007/05/0
2007年3月~4月にカンボジアのシェムリアップ地方を訪れた記者が、現地の子どもたちと交流した。
記者たちはなにを思ったのだろうか。
司会者:カンボジアで色々な子どもたちに出会ったけれど、一番印象に残っていることは何でしたか?
友衣奈:トンレサップ湖で私たちの乗っているボートに舟をつけて物を売っていた子がとっても印象的でした。一生懸命売っている姿を見て、それだけで家計が大分変わるのだなと思うと、複雑な気持ちになりました。
美里菜:その湖から陸に上がって、チョンクニア村の高床式の家を見せてもらうときに、小さい男の子や女の子たちが一生懸命「何かちょうだい」とやってきて。そのとき日本語を少し話しているのを聞いて、やっぱり今まで日本人の観光客が何か物をあげて、余計この子たちを苦しめていただと思いました。
令雄:僕はクラバン村小学校で、とても幼い子たちが元気いっぱいに勉強している姿に胸を打たれました。
美里菜:私も小学校や寺子屋で勉強をしている子ども達を見ていると、自分がどれだけ幸せな環境にいるのかを実感しました。
佳恵:「お金ちょうだい」といわれても、それをあげたからって全てが解決されるわけじゃないっていうふうに思うと、「あげたいけどあげられない」と、すごい葛藤がありましたね。
司会者:クラバン小学校で「日本語をしゃべれる子たちがいるんですよ」と先生が連れてきたじゃない。それを聞いたときにどう思いましたか。
友衣奈:私は最初「何で日本語を知っているのかな?」と思ったけれど、あとでこの子たちは観光地で働いて、その中で覚えたということに気づいて、商売のための日本語というのはすごいなと思いました。
令雄:日本語が僕たちみたいに日本人と交流するのに使えるのなら、商売のための日本語ではなくて、もっと交流の機会を増やして、交流のための日本語を使って欲しいと思います。
美里菜:「お姉さんきれい」とかそういう日本人が喜ぶような日本語ばかり覚えていて。そんな幼いときから、言葉が悪いのですが、「計算だかい」というか、そういうことに自然となってしまったことはちょっとかわいそうだなと思いました。だけどそれは決して悪いことではないし、生きていく上でそういう「計算だかい」ところも必要なんじゃないかと思いました。あと、カタカナが書ける子どもたちがいて、しゃべれるだけじゃないんだなって、びっくりしました。
司会者:他になにかありますか。
美里菜:街で日本人か韓国人かと聞かれて、日本人と答えたら「味の素」を知っていて、それもすごいなと思いました。
佳恵:彼等の語学力はすごいなと思ったけれど、仕事だからこそ、外国語の吸収が早いのかな?
■カンボジアの人々の暮らしをみて
司会者:カンボジアの人の暮らしを見て感じたことはありますか?
友衣奈:チョンクニア村の高床式の家は、部屋にほとんど仕切りもなく、台所もベランダみたいなところで、そこで毎日生活しているのだなと思うと、写真でみるよりもっと生活感が伝わってきて、感動しました。
令雄:高床式の家はすごく気持ちよさそうで、快適なのかなって思いました。今の日本の家は人工的にエアコンつけているけど、昔はきちんと自然の力をかりて上手に暮らしていたのだろうな。
美里菜:涼しいし、高いから自然に囲まれて眺めも良かったけれど、私がその家に住めるかと考えたら、ちょっと無理かなって思いました。
佳恵:なんで?
美里菜:一番の理由は、部屋の仕切りがちゃんとないこと。壁などで仕切られて守られている部分になんとなく安心感をもっているので、それがないとちょっと辛いです。それに床から下の地面が見えてしまうことが怖い。
友衣奈:私はドアとかがなく開放感があるなと感じただけで。でもあそこに住めといわれたら……う~ん、日中はあそこで、夜は自分の家みたいなところだったらいいかな。
令雄:僕は高い所が好きなのであの家は心地よいけれど、ただもうちょっと広かったらというのがあります。あの窮屈さだとあんまりのびのびと生活できないのかなと思いました。
佳恵:西洋式にコンクリートに固められた家がいいかはわからないけれど、ああいう家を見て、純粋に本当にその土地の気候風土に合わせた家だなって思いました。雨季に湖が広がって水が来ても、床が高いから問題ないし、エアコンがなくたってスカスカ空いているから風通りがいいし、それがむかしからの知恵なのだなと思いました。
司会者:では、水上生活者の暮らしを見てどう思いましたか。
美里菜:舟から見ていて、取りあえず(汚染された)水のことが心配で。一回だけ食器を洗っているところを見かけたのですけど、大丈夫なのかなとおもいながら見ていました。でもその中で生きているから強い免疫力がついているのだろうし、精神的にも強くなれるのかなと思いました。
友衣奈:テレビとかついている家もあって快適だなと思ったけれど、物がずらっと並んで、陸上の家より狭い感じがして、なんか窮屈そうだなって思いました。
令雄:家と家の間を舟で移動するというイメージはヨーロッパなどにある水の都のイメージしかもっていなかったので、ああいう湖に浮かぶような家がいっぱいあるのは驚きでした。
佳恵:私もレストランのトイレに行ってみたら、トイレの流れる先はそのまま湖で、しかもそこで食器を洗っていたり、ビーチボールで遊んでいたりしていて。すべて一箇所の水で全てやっているのには驚いたし、心配になる部分もありました。それに昔は湖だけで生活できたのかもしれないけれど、今は生活のためには街まで買物に行かなければならないと聞いて、ちょっと不便だなという感じがしました。
美里菜:湖の上で自分より小さくて細い子が一生懸命舟を漕いでいるのを見ました。彼女たちは私より食べていないだろうし、そんなにいい生活はしてないと思うけれど、それだけ自立していて、私より小さいのに、私より強くて、日本で平和に暮らしている私たちよりは自分のために生きられる子たちなのかなと思いました。
■カンボジアで出会った子どもたち
司会者:寺子屋の子どもたちに会って感じたことがありますか。
友衣奈:子どもたちはなんの意図もなく、本能的に遊んだり勉強していたりしていたのが自然でいいなと思いました。日本ではみんなピリピリしているので、新鮮でした。
美里菜:子どもたちが命令されているのではなく、自分たちの意思で勉強していることを知って、とても羨ましいと思いました。私たちが折った折り紙のボールで遊んでくれたのも嬉しかった。そうやって折り紙で素直に喜んでくれる日本人は少ないと思うし、日本の子どもより感情の表現が豊かだと思いました。
佳恵:たしかに、何に対しても積極的で一生懸命だなと思いました。折り紙を教えると、 2 回目には自分でやってみて、分からなくなったら「教えて、教えて」って聞きに来たし、夜の寺子屋では自分から積極的に勉強していてすごいなと思いました。あとは、ぱっと見てニコって笑ってくれた笑顔がすごく印象的でした。
令雄:僕がいろいろな子ども達と交流して感じたことは、言語が話せないと言いたいことが言えないし、伝えたいことも伝わらない。そういうところで歯がゆい思いをしました。
司会者:全体的に今までカンボジアに対して思っていたことで変わったことや、同じ世代の子どもとして初めて会って感じたことがあれば言ってください。
美里菜:なにより勉強している姿を見て、自分がこれからどうしなければならないかということを身にしみてわかって。でもきっと日本にいるからこんな風になってしまったのかとも思いました。でもすごく恵まれたいい環境に自分はいるのだから、それだけは忘れないようにしたいな。言葉も勉強して、いつかまたカンボジアへ行って、もう一度彼等たちに会って話せたらいいなと思いました。
友衣奈:私が感じたのは、カンボジアの子どもたちはたくましいなということでした。自分が将来ちゃんとした仕事につくために言語を学んだり、時間がないのにわざわざ寺子屋や学校へ行って勉強したりしている姿を見て、日本はなんて恵まれているのだろうと改めて痛感したし、日本でみんなと悩みなんかを話している自分が恥ずかしくなりました。
令雄:カンボジアで子どもたちの勉強に対する純粋さにふれて、日本に帰ってきたら周囲の友達とかは、将来の希望を失っていたり、勉強の意味が分からなくなっていたりしていました。日本の子どもは、先を見たがるところがカンボジアと違うなと。日本でも勉強には純粋な気持ちで望んだ方がいいと思いました。
佳恵:これまでは英国とか韓国とか、どちらかというと日本と似たような生活をしている若者に会ってきたけれど、今回カンボジアで、ここまで背景が違う子どもたちに会ったのは初めてでした。生まれた国が違うだけで、こんなに違うということはある意味不公平だなと、生まれた国によって不公平が生じる世界がよくないのかなって思いました。
美里菜:たしかに国に限らず、親を選べないという悲しい部分があって、なんでこの国やこの親に生まれたのだろうと思う子どもたちはたくさんいると思うけれど、その中からどう自分が変わっていけるかだと思うし、カンボジアの子どもたちはとても強くたくましいので、政治とかの問題で色々な国に支配されているけれど、何かいい環境になればきっとものすごく伸びるというか、発展していくだろうなと思いました。
佳恵:確かにそう思う。どこに生まれても結局は自分たちの努力次第だし、そういうパワーの面ではカンボジアの子どもたちの方がすごい部分があった。私たちも負けていられないな、一緒に頑張っていきたいなみたいなものを感じました。
■カンボジア体験と今日の自分
司会者:カンボジアでいろいろ感じて、日本に帰ってきて一ヶ月近くたってみて、実際どうですか。
友衣奈:私は寺子屋を見て、自分ももって勉強しなければいけないと思ったのに自分にとっては、学校へいくのも、勉強できるのも当たり前というのがあって、やっぱりちょっと面倒くさくなっちゃいました。時々は「それじゃいけない」って、カンボジアに行ったことを思い出して頑張るようにします。
令雄:帰ってきてテストがあって、あんまり良くない結果だったけれど、カンボジアの子どもたちのように将来のことを見据えて、今自分は何をしなければいけないのかっているのは常に思っているので、それを行動にあらわしたいと思います。
美里菜:帰ってから、「授業中は寝ない」と決めました。夜の寺子屋にもかかわらず、日中働いている子たちの中に眠そうにしている子は一人もいなかったし、一生懸命勉強していたので、今はそのように励むことにしています。何か目標を決めて、それに向かって頑張っていられれば、将来カンボジアの子どもたちにまた会えたときに、彼らの前で堂々としていられるかなと思いました。
佳恵:きっと私たちと同じ年代で、このような経験をした人はそんなに多くないだろうから、周囲に流されてしまいそうなときに「あの時の経験が・・」と思えるのは強みなので、今度カンボジアの子に会ったときに、自分はこのようにやってきたのだよと堂々と話せるくらい、毎日頑張っていけたらと思います。