実用性を重視し、変化し続けるアメリカ

記者:尾崎惺 Satoru Ozaki (17)

 読者の中には、アメリカの高校への留学に関心を持つ人も多いのではないだろうか。筆者は現地の公立高校に通って半年になる。そこでAP (Advanced Placement) Calculus(微積分)のクラスを受講しているのだが、現地の数学教育については驚かされるものがあった。アメリカの数学教育全般についての興味を抱き、私は自身のAP Calculusの教師であるMr. Loveless にインタビューを実施した。本記事を通してアメリカ留学に関心を持つ読者にとどまらず、広くアメリカに関心のある読者に現地の数学教育に関して情報提供できれば幸いである。

参考:筆者が通う高校はアメリカ中部に位置する、1学年あたり350人程の一般的な公立高校である。生徒は白人が9割を占め、他にはアフリカ・西アジア系の移民が目立つ。州における石油生産の恩恵で教育に力を入れている州として有名で、設備に関しては日本の私立高校に引けを取らないくらい整備されている。

 初めにCory Loveless氏(以下 Loveless氏)について簡単に紹介しよう。彼は大学では当初、建築学を専攻していた。「しかし大学での一年が経った時に、自分は学ぶこと自体が好きであるということに気がつきました。高校の時の数学の先生に恵まれたこともあり、数学の教師になりたいと思いました」(Loveless氏)。彼のように高校の頃から数学が得意であれば、エンジニアなど収入がはるかに高い職につく道もあったはずである。しかし得意ではあるもののクラスで一番ではなかったことや、人との交流が好きだったということもあり、数学教師への道を本格的に目指したそうだ。

Cory Loveless氏

 アメリカの教育は各州にかなりの裁量が委ねられている。彼によると、筆者のいる州では、数学の教師になりたい場合、修士課程まで修了する必要はなく、学士課程を終えることで足りるらしい。そして大学卒業後に二つの試験を受けなければならない。一つは教師としてのスキルを問うもの、もう一つは担当する科目に特化したテストである。また博士まで修了か学士まで修了かによって教師になった後の収入が変わるそうである。ちなみに Loveless氏は数学教育に関する修士号を持っている。

 筆者の受けているAP Calculusというクラスは、全米共通であるAPというシステムに基づいてカリキュラムが作られている。「APは別のグループであるCollege Board*という会社の商標です。この会社のミッションは高校生に大学レベルの勉強の場を与えて、挑戦する機会を提供することです。APクラスを教える教師は、夏の間にトレーニングを受けなければいけません。そして学生がAPクラスを受けるメリットの一つに、AP Exam (APの課程を認定するテスト)で良い点を取ることができれば、大学に入った時により難易度の高いクラスからスタートすることができるということがあります。また大学出願の際に提出するTranscript(日本の内申書のようなもの)にAPコースや他の難易度の高いクラスを取ったことが記載されていると、アイビーリーグのような大学進学希望の場合、優位に働くかもしれません」(Loveless氏)。

College Board*:CollegeBoardは他にもSAT (Scholastic Assessment Test) という日本の共通テストのようなテストも提供している現地では有名な営利団体である。 なお、APテストやSATなどは日本国内でも受験することができる。

 補足すると、筆者は留学生であるため好きな授業を受けられるが、本来APクラスを取るには各学校で条件が設けられていることが多い。Loveless氏によると筆者が通う学校では、AP Calculusを受けられる生徒は11年生か12年生(日本でいう高校2,3年生)に限られ、それまでに2年間の幾何学と一学期間の代数を受講していなければならない。

 次にここでの数学教育事情を紹介しよう。 

計算機が使えるアメリカ

 留学生としてまず初めに驚いたのは、ほぼすべての生徒が自前の計算機を持っているということだ。またテストによっては、計算機の使用が許可される。このことについてLoveless氏に尋ねてみると、「私も数学教師のキャリアの中で、なぜ生徒に計算機の使用を認めるのかについて考えてきました。利点として、計算機無しでは計算できないような現実世界の複雑な状況について計算できることが挙げられます。例えば多くの自然現象は自然対数(e)によって表されますが、それは計算機無しでは計算できません」

  • 計算機を使うのは計算機無しでは計算できないような現実世界の複雑な状況について計算できることが利点

 確かにAP Calculusの時間で扱う問題は、日常の状況に関連づけて記されていることが多いと筆者も感じた。一方で日本の場合だと式だけが与えられてそれについて解く問題が多いのではないだろうか。しかしながらLoveless氏によると、計算機を使うと、生徒がそれに依存してしまうという欠点もあるそうである。

クラスで使われる計算機 日本円にして約2000円

指導方針について

 指導方針についてもLoveless氏に尋ねてみた。「私の州では、数学教育において特にCritical thinking(批判的思考) と Solving Problem (問題解決力)を重視しています。なぜなら高度な技術とAIによって、答えを求めること自体は必要ではなくなったからです。そのため単純な答えではなく、答えまでのプロセスや、さらに抽象的なもの、より広範囲で答えのない問い(どのような状況でどの数式が使えるかどうかを考える)を重視しています。それはまさに、コンピューターに指示を送る時に必要なものなのです。例えば今日のことですが、ある先生がエクセルの使い方について質問してきました。しかしその先生が分からないのはエクセルの使い方ではなく、どの様なプロセスを経れば答えを導くことができるかでしょう。そのためクラスの指導方針として、特に状況をもとにそれを数学的にデザインする(数式に落とし込む)力や答えにたどり着くまでのプロセスに焦点を当てることとしています」。

アメリカ人と数学

 Loveless氏は現在、AP CalculusとAlgebra Readiness(代数を基本から学ぶクラス、筆者も所属)という二つのクラスで教えている。後者のクラスには分数の足し算や引き算ができない生徒もいるそうである。これは移民なども多く様々なバックグラウンドを持つ人の集まりであるアメリカならではのことではないだろうか。日本では生徒が学校についていけない場合、多くの生徒が塾に通うが、こういった生徒へのサポートあるいは、生徒自身による対策はされているのだろうか。

 「生徒が塾に通うだけの十分な経済力がないことが多いです。もしお金に余裕があれば、チューター(家庭教師)を頼みます。しかしながら、課外活動に忙しいなど時間の余裕がないため、十分な時間を勉強に割けない生徒もいます。また、野菜を食べないのと同じように、苦手な数学から逃げる人もいます。私の担当するクラスでは18歳になっても基本的な代数を知らない生徒がいます。これはよくないことなので、たくさんの人が解決しようとしている最中です」(Loveless氏)。

 筆者の受講するAP Calculusの生徒は、学校でも数学が得意な方で、概ね日本の高校における同学年の内容を理解している。一方でそれ以外の生徒の数学力は平均的な日本の生徒に比べかなり下回っていると感じることが多い。例えばOECD PISAと呼ばれる国際的な数学力調査においても、アメリカは世界平均を大きく下回る結果が出ているように、基礎的な分数の計算ができない生徒がいることも少なくないのが現状である。また、Loveless氏は「生徒や親は、数学についてのいい経験を持たないために、あまり数学に価値を見出さない人が多い」と教えてくれた。こういったこともアメリカ人が数学を避けたり、苦手なまま放置してしまう一因かもしれない。

*この取材のほかに、Loveless氏に日本の数学問題を解いてもらう企画も実施した。これについては第二弾で紹介したい。


取材後記: 記事の通り、米国における数学教育は日本と比べかなり実践的であると感じる。さらにそのような傾向は10年ごとに、社会の変化に合わせて改変される。“数学力”を重視する日本、実用性を重視し変化し続けるアメリカ。果たして日本の数学教育はどのように変化するべきなのだろうか。

記者雑感: 筆者は米国にて交換留学をしている高校2年生である。出国前、アメリカの数学教育はかなり難易度が低いと伝えられていた。確かに統計的には正しいが、それは全く違う土俵の競争であると言うことにこの取材を通して気付いた。少なくとも、社会の変化に合わせて柔軟に変化する教育スタイルについては、日本も学べるものがあるのではないだろうか。